2011年12月20日(火)
今年も残りわずかになりました。

今、私が出演している第三舞台の復活&解散公演も
紀伊国屋ホール公演が無事終了し、これから
大阪・横浜・サンシャイン劇場・福岡のツアーに
入ります。

すでに公演数の半分以上を終わらせ、あと20回も
ありません。

紀伊国屋での公演は、あっという間でした。

毎日、お客様の前に立つのが楽しくてたまりません
でした。
客席もとてもホットで、まるで旧友に会いに来てくれた
人々のようです。

こんな幸せな公演は、もうこの先ないでしょう。

これは一重に、10年ぶりの復活と解散という名目
だからに違いないのですが、
実は、まず復活公演をやると決定したとき
観に来てくれるのだろうか、という不安がありました。

それが解散公演と決まってからも、
どんなふうに受け止められるのか、少し心配でした。

でも、私たちの方で決めたのです。
今回限りでおしまいだから、何があっても前向きに
解決して、楽しく終わりにしよう、と。

だから稽古中も楽しくてしかたありませんでした。

そんな空気も客席に伝わるのかもしれません。

そういう意味では、私たちも
ようやく大人になったのかもしれません
(やっていることはさておいて(^◇^;) )。

そして「決める」ということは大切なのだ、と
つくづく実感しています。

私は、今年になって、今更ですが
「ちゃんと芝居ができる環境を作ろう」と
決めました。

すると、私を取り巻く環境は、不思議にもそうなって
来たのです。
子どもは自立していく、旦那は家事を手伝って
くれる…。事務所も応援体制に入ってくれる。

だから、今年は出産してから一番
すべての面で、自分に時間をかけられた年でした。
安心して仕事に向かうことが出来ました。

すべての人々に感謝。

そして、そんな1年を締めくくったら、また来年
決心します。

「次の10年で花も実もある人生にする」。

つまり、さらにきちんと芝居や仕事をしていこうと
決めたのです。

もう迷いません。
守りません。

2011年は幸いなことに、大晦日まで舞台に立ちます。
役者としてこんなに幸せなことはないように思います。

新たな年まで、もう書けないかもしれませんが、
決意表明をして、この年を締めくくりたいと思います。

2012年、飛躍するで〜!!

みなさんも、どうぞ寒さに負けず、
じっと心の内を見て、
新たな、または脈々と流れる道を歩んでください。

よいお年を!

2011年12月9日(金)
第三舞台公演、初日開けました〜。
と、書くはずだった11月末です。

いつの間にか、初日も二日目もどたばた騒ぎに
紛れて、こんなに日にちがたってしまいました。

気がつけば、もう師走も半ばにさしかかろうとして
いるじゃありませんか。
最近は冷たい雨の日が多く、関東地方でも初雪が
ちらほらなんて珍しくないのではないでしょうか。

さて、先の舞台のお話ですが、
開けて12日たちました。

出入りの多い舞台の上、通し稽古が不十分
(20年前なら十分だったのかもしれませんが…)
のまま、初日に突入した感があったので、
舞台表よりも裏がてんてこまいでした。

ただでも楽屋・袖・舞台裏が狭い紀伊国屋。
あれだけの衣装で着替えをできているのは
ひとえに優秀なスタッフさんのお陰です。

おまけに初日にはまだ、役者も自分がどこで
何に着替えるか、すっかり覚えてない始末。
あまつさえ、次のシーンが何だったかも分からない
ことが多々あり、スリル満点でした。

でも、そこは平均年齢50歳の劇団です。
誰も一度も出とちりもなく、舞台を楽しんでくることが
できました。
むしろ、飽きないで最後までやることができそうです。

最近また肩の力が抜けてきて、疲れも少なくなり、
声もよく出るようになった気がします。

そう思うと、若い頃はいやと言うほど練習に練習を
重ね、言い方も動きも固めてから本番を迎えていたので、
初日開けるともう飽きが来ていたような気がします。

お客様との交流は楽しかったけれど、
それは「受けた」時だけ。
「受けない」時はいつもそれを重く受け止め、
がっかりしたり、反省したり。

でも今思うと、ものすごく力が入って、一人相撲を
取っていた部分が多かったのかもしれません。

今舞台に立っていて思うのは、受ける受けないは
その日の調子。もっと言うと、少し前からの流れで
それはお客様も含めた出演者同士で作っているの
ですから、自分だけがどうこうというものでも
ないのです。

もちろん、技量は問われますが、それよりも
そこに「生きている」ことが大事なのだと気づかされます。

けれど、それもこれも含めて、
ばかみたいに一生懸命やって来た過程があるからこそ、
こうして支持してくださる方も多いのだと、
素直に過去を認めたくなる最近です。

本当に、お客様に支えられてきた劇団なのだと
舞台の上にたち、心底感じます。

あの頃見てくださったお客様はみんな旧友のようなもの。

私は今日も、「古いお友達、会いにきてくれて
ありがとう。」という気持ちで舞台に立つのです。
もちろん、初めて会う方には
「はじめまして。よろしくね」ですよ!


2011年11月12日(土)
きのうは2011年11月11日でした。
震災から7ヶ月、そしてまた何か起こるのではと
囁かれていた日でしたが、何事もなく朝を迎える
ことができ、一安心。

今日は本番までの最後の休日です。
明日は初めての通し稽古があるので、
ちょっとは台詞にあたりたいのですが、
今日はまた朝から家族が揃って、一悶着…。

本当に、人間を育てるのは難しいです。

今、夫婦ではまって読んでいる本に
「高峰秀子の捨てられない荷物」というのが
あります。

高峰秀子さんは、私が女優の道を目指すように
なった時にはもうすでに引退されていました。

ですから、お顔は知っていたものの、
どんな映画に出て、どんな演技をされていたのか
最近までつぶさに知らなかったのですが、
あるきっかけで、その出演作を立て続けに見る
ことになり、その上手さに溜め息…。

今頃知るなんて、女優の風上にもおけないと
言われてしまいそうです。

しかし、どんな役にも自然体で、指先一つの演技にも
説得力のあるそれは、ほかを圧倒しています。

別にそれほど目が大きいわけでも
絶世の美女でもないのですが、
目でものを言うことができる人です。

はっきり言って、あの時代の女優の第一人者でした。
それも5歳の天才子役から始まり、
十代も人気少女スター、
その力も人気も衰えることなく、大女優への道を
歩んだ稀有な人。

そんな高峰さんは、周囲をして「どんな教育をすれば
でこちゃんのような人間になるんだろう」と言わしめた
ほど、賢く、優しく、出来た人間だったそうですが、
その生い立ちは並大抵のものではなかったのです。

4歳で実母に死に別れ、その後引き取ってくれた
養母にとことんまで働かされ、5歳で子役を始めた
時から、「私は商品なんだ」と思いつつ、
10人もの親戚まで養っていたと言います。

ものすごく賢い人だったようです。

私には、毛の先ほども真似できません。
壮絶な人生でした。

ということは、人間は「もの」が勝負なのかなあ、なんて
考えてしまうのです。
環境よりも、しつけよりも、持って生まれたもの。

普通に暮らしていても大女優になるなんて半端じゃない
のに、虐げられても大女優になれたなんて、
しかも、歌も踊りもやらせればなんでもできたなんて、
天からのギフト以外の何物でもないような気がして
へたりこんでしまいそうになります。

いやいや、しかし、
そう思って諦めてしまっては、我々のような凡人は
もっと落ちるだけ…と、
自分に言い聞かせ、芝居の稽古も、
娘の教育も、考え考え、やっている昨今でありました。

2011年10月30日(日)
もう10月も終わりですね。

今朝は早朝ロケがあって、5時過ぎに渋谷の駅を
歩きました。
まだ空は真っ暗で、ちょっとぶるっとくるくらい
肌寒い中、歩いている殆どの人が若者で、殆どの人が
夜の続きだった模様です。

そしてハロウィーンの仮装をしている人が大勢いました。
フランケンシュタインや化け物系の仮装をしているので
一瞬ぎょっとするのですが、
考えてみれば、仮装してどうするのでしょうね。
お菓子をもらうのでもなさそうですが…。

日本人はこうして、外国の面白そうなイベントを
取り入れるのが大得意。

本家本元の国の人々は「?」と思ってらっしゃるでしょうが、
面白いなら意味合いなんか関係ないとばかりです。

うちの娘もバレエの教室でハロウィーンパーティーを
するので、食べ物一品を持ち寄るということで
チーズケーキを私に半分以上作らせて、
仮装グッズと一緒に持って行きました。

たぶん、お菓子会社や某ディズ〇〇ランドの商戦
大当たりっていうところなのでしょうが、
どうしてわが国の人々はこうもうまくはまって
くれちゃうのでしょうか。

「煽動」という言葉が頭に浮かびます。
集団の心理とは怖いものです。

私は先日カダフィ大佐を葬ったリビアの行く末を
慮ってしまうのですが、あれは国民の真意から
来た行動だったのでしょうか?
どこかで煽動されてはいなかったのでしょうか。

リビアの国情に詳しいわけではないので、
あまり多くは語れませんが、あの大イベントの後、
あの国は健康的に情勢を保てるのか、はなはだ
疑問なのです。

日本の話に戻りますが、
先日ある雑誌で「美魔女」という言葉が流行っていると
知りました。

「40代、50代になっても年齢を感じさせない
美しい女性」という意味らしいです。

確かに、そういう人は増えてるし、
誰もがそういう人を目指している昨今ですが、
この風潮に対して林真理子さんは
「若さを保とう、美しくあろうと努力するのは素晴らしい
が、その年齢に見えない、出産したようには見えないと
いうことを目指すのは違うのでは?」と
おっしゃっています。

そして女性がこうなったのは一重に
「徹底的に、幼くて未完成な女を好む、この国の
男性のせい」だとしています。

考えてしまいますね〜。

私たちもやはり、「煽動」されているんですね。
「美魔女」を唄う雑誌に、「美魔女」を好む男性に、
そしてその男性も、大人の女性を拒否しなくては
ならなくなる社会の風潮に。

昔と変わらない、若い肉体と精神を見てもらおう、と
思って、第三舞台の稽古に入りましたが、
昔に劣らない情熱を持ち続けようとする姿勢を
見てもらおうという気持ちになっています。
だって、昔と変わらない肉体なんてヘンですし、
精神も変わってなければ大人じゃないということ
なんですから。

「成熟」という言葉が似合う大人になりたいです。

2011年10月17日(月)
今日からは心を入れ替えて、
週に1回は更新するぞ〜と意気込んだのも束の間、
あっという間にまたこのずるずるペースに
戻ってしまいました。

どうもツイッターをしているだけで、
皆さんに発信しているような気になっちゃいます。

その意味で一日140字くらいというのは
適切なのかもしれませんね。
考えた人はすごい!

もちろん、毎日も書いてないし、
140字ぴったり書くこともそれほどないのですが…。

一時はフェイスブックにもミクシィにも手を出した
私ですが、どちらも一回こっきりで放置状態です。

お店に入って素敵な料理が来ると、
携帯やスマホを出して、さっと写真を撮る人も
増えていますが、みんなああやって「絵つき」で
発信しててマメだなあとただただ感心している始末です。

本当に、私は興味のあること以外は手を出さない、
あるいは続かない、典型的なタイプだったんだなと
今更、実感。

でも大抵の人はそうなんでしょうか。

この世に情報はゴマンと溢れていて、
一応民主主義で平和なこの日本では、何を選択して
暮らしていくかは、ある程度自由なのですものね。

けれど、今まで当たり前のように思ってきた、その
「自由」も実は制限されていると分かってきたのは
つい最近。

電気代が高いからって、電力会社を選ぶ自由は
我々にはなかったのです。

総理大臣が気に食わないからって、
税金を払いたくないからって、
NOと言える「自由」はなかったのです。

卑近な例で申し訳ないのですが、
例えば、まとまったお金が必要だから、
今まである機構に預けていた共済金を返してほしいと
思っても、制度が〜、書類が〜と
何かと手続きが必要で、
自分のお金すらなかなか自由にならないことを
思い知ったのも最近です。

私たちは、国や制度や、ある少数の人々の権力に
絡め取られて生きていたんですね。

アメリカや諸外国で一気にデモが流行ったのも
同じ理由からなのでしょう。

いよいよ、世界は底辺からくつがえされつつあるのかも
しれません。

日本では、奇しくも3・11の大震災と原発事故が
そのきっかけとなるのかもしれません。
これがきっかけで、社会のひずみが暴露され、
隠蔽が明るみに出、いまや政府やマスコミの情報を
鵜呑みにする人の方が少ないような感があります。
数年たったら、「はじまりはあの時…」とされているような
気がするのです。

興味のないことには見向きもしない私でしたが、
世界の動向には、アンテナをばっちり張っておきたい
気分になり、最近新聞やニュースをマメに見ています。

そして一方で、興味のあることにはもっとこだわる気持ちが
強くなりました。
……

今週から第三舞台の稽古がいよいよ始まります。

2011年9月29日(木)
憧れのハワイにようやく行くことができました。

実は、私の憧れではなく、
もう20年来の母の「憧れ」になっていたんです。

80年代なかば、私が「世界不思議発見」という番組の
レポーターとして、ジョン万次郎を取材するために
ハワイを訪れた時、
あれはまだ春先だったのですが、
吹く風が何とも爽やかで、海がきれいで穏やかで
いっぺんに好きになりました。

だから、両親にイタリアでの自分の挙式に参列して
もらう時に、いずれ家族みんなでハワイに行こう!
その為に10年のパスポートを取得したら?と夢のように
語ったのは私です。

しかし、そこから私は出産や子育てが始まり、
いつも時間や心の余裕がないままに
なかなか実行に移せないでいました。

ところが、今年になって母が転んで
肋骨にひびが入るという事件があったのです。

それでなくとも、最近目の不調を訴えていて、
元気で海外旅行ができるのは今のうちだから、と
昨年あたりから急にせっつかれ始めました。

追い立てられて旅行に行くのは気が進まないものです。
が、理由が理由だし、もう有言実行の賞味期限が
来ているのは分かっていたので、
いつもめちゃくちゃ忙しいビジネスマンの弟が
中心になり、みんなが何とか休みの取れそうな
9月のシルバーウイークを使おうということに
なったのです。

そういえば、16年前にも弟と二人で、母と叔母を
中国に連れて行きました。

母と叔母は戦時中の大陸生まれで、幼少の頃を満州で
過ごしたので、どうしても生まれ故郷がどうなったのか
見てみたいという切なる願いを持っていました。

その頃、中国が一気に資本主義への道を開いたとは言え
まだ新京地区などは一般の海外旅行者には
行きにくい土地でした。

それを調べて、旅行会社と再三やり取りして
とうとう生家にまでたどり着いたのですから、
母と叔母はそりゃもう感動していました。

今度はハワイだったのです。

でも、ハワイに行って何をするかと言うと
母には別に目的があるわけではありませんから、
結局はワイキキビーチのあたりをお土産の物色に
歩き回るという旅になってしまいました。
それでも母は、「これでやっとハワイに行ったと言える」と
満足そうでした。

私は大阪出張の夫を置いて、娘を連れて行くことになり、
一人で歩き回れない人が二人になってしまったので、
娘の面倒を私が、母の面倒は主に弟が見るという
2チーム編成の4人旅と言う構成で、
私と弟は自分のことはさっぱり後回しでした。

娘は出発前からイルカツアーが気になっていて、
とうとうイルカに触れて、その上お腹に乗せてもらって
泳ぐという体験を果たし、上機嫌。

母は、最愛の息子に自分の服を選んでもらって
それをホテルで着てみせて、これも上機嫌。

途中、疲れすぎて険悪ムードになる場面も
ありましたが、基本的には気のおけない家族旅行。
普段一人で暮らしている母が求めていたのは、
ハワイという土地だけでなく、家族とたっぷり触れ合う
ということなのは分かっていました。

それにしても、20年来の約束を果たし、
これでようやく私も肩の荷が降りたと言うものです。

帰りの空港でお茶を飲んだ時、思い出や感想を
語り合っていて、お調子者の私は思わず
「次は〇〇ね!」と言いそうになるのをぐっと堪えました。

一つの約束でこんなに時間がかかるのに、
できないこと、難しいことをうっかり語ってはいけない。

こんなに時間がかかって見たものや経験が
必ずしも母の期待通りだったと確信できない今は
あらためて教訓として、心に刻みつけなくては。

次からは、行ける算段を組んでから、
サプライズにしよう。

そんなふうに思う帰国後の私でした。

9月22日(木)
昨日東京を襲った台風15号は、もの凄い威力でした。

久しぶりに、「台風に備えて〜しておこう」という気に
させられました。

私がしたのは、雨風が弱いうちに買い物を、ということ
だけでしたが、昔は「台風が来るぞ〜」と言うので
屋根を打ち付けたり、飛ばされやすい物を片付けたり
したんですよね。

今は家屋も頑丈になり、
「おおかみと三匹のこぶた」のような、吹けば飛ぶような
屋根を持つ家などめったにないのでしょうが、
昔は台風のために家族全員で家にくぎを打ったり、
大きな石を置いたりし、いよいよとなったら
雨戸を閉てて、家の中にこもったものです。

時々、停電なども起こるから、ろうそくを点てたりして
普段しない話などして、家族が身を寄せ合う
なんて光景もあったわけです。

もちろん、外は豪雨と暴風ですから、
気が気ではないのですが、
子ども時代には、そんなこともイベント化して
「いつもと違う!昼間からお父さんもお母さんもいる!」
などとはしゃぐ気分になってしまいます。

学校も朝から休みでした。
連絡網で回ってくると、わくわくしたものです。

実際、きのうの我が娘は
雨風が強いのが嬉しくて、わざわざカッパを来て
自転車を屋根つきの車庫の中に入れに行くという、
普段なら絶対自分からしないことを嬉々として
していました。

こんなことでも、季節感を味わえるなら、と
少しの間濡れるのを許していました。

それにしても、最近の災害と私たちの暮らしには
大きな隔たりがあるような気がしてなりません。

科学の多方面の進歩で、
生活はこんなに便利になったその反面、
私たちは季節感も自然との接し方も。、
あまつさえ、災害に対する準備をどうすべき
だったか、
忘れてしまっているのです。

その一番顕著な例が、3・11の被害だったの
でしょうか。

「津波てんでんこ」(津波が来たら、身内の
心配もせず、とにかくてんでんばらばらに
逃げろ)という言葉があったにもかかわらず、
すぐに逃げなかった、車で逃げようとした、
誰かを探しに行った、という話をよく聞きました。

津波→とにかく高い所へ逃げる
地震→家具や建物の隙間に出来る△ポイントに
逃げる
台風→家屋の中でじっとしている

こういう当たり前の行為、準備をもう一度
思い出すように、そして自然の威力と恐ろしさを
もう一度肝に銘じるように、
最近の災害が立て続けに起こっているような
気がしてなりません。

つまり、人間であることにうぬぼれるな、
自然の一部なのだと思い出せ、ということでしょうか。

この台風で亡くなった方のご冥福をお祈りします。

9月15日(木)
信じられないくらいの残暑です。

11年前、娘を出産した時も、酷い残暑に
悩まされました。
あの時は、赤ちゃんがあんなに暑がりだと知らなくて
なぜ泣くのかと途方にくれたのですが、
暑さのせいだと分かってからは、エアコンの付けっぱなし
でした。なんと9月いっぱいまでつけていました。

それを上回るほどの暑さのような気がします。

「暑さ寒さも彼岸まで」なんていう昔のことわざは
とうに効力(?)を失くしてしまった、最近の地球。

そういえば、これも娘が生まれる直前、
子どもが欲しくてはまった風水ですが、
今は方位学というものが、地球の地軸の乱れによって
それこそ効力を失っているということです。

娘が生まれて、4〜5歳になった頃、
方位学にしたがって「吉方取り」なるものを楽しんで
いたことがありましたが、
それも今や意味をなさないものなんですね。

どこかに行く時は、ちょっと方位を気にしていたものですが、
今はどこに行くにも頭をかすめないということは、
ただ単に忘れているというよりも、
本能的にそんなことが分かっているからかもしれません。

来年の動向に向けて、なんだか身辺がばたばたしてきて
いろいろな準備の期間が始まっていると感じます。

そして、それにつけても、
世界は今や以前と同じではない、ということ。

誰としゃべっても感じます。
舞台の制作さんでも、普通の主婦の友人でも。

いつも「今」が大事なんだと思います。
今、会う人。
今、している仕事。
今、やるべきこと。

今に心を入れて、「念を入れて」生きたいと思います。

9月6日(火)
9月の声を聞いても、台風の間は、関東地方は
ひどい湿気でした。
でも今日は、最高気温32度との予報とは裏腹に
吹く風に秋のにおいがいっぱいです。

和歌山、三重で台風の被害に遭われた方々、
お亡くなりになった方には、心からお見舞いを
申し上げます。

片や東北の一部では、震災の被害も落ち着かない
ところへ大雨や洪水、
そして昨年私たちもプライベートに訪れた、熊野方面、
伊勢神宮のある三重県、緑深い山が印象的な和歌山県が
洪水の被害に遭っているとは、想像だに心が痛みます。

地球はどこまで痛んでいるのでしょうか。

日本人はどこまで我慢を強いられるのでしょうか。

新しい政府は私たちの力になってくれるのでしょうか。

きのう、冬に行なわれる第三舞台復活&解散公演のための
記者発表がありました。

それぞれの挨拶の際に、
私は「10年はあっという間でした。
10年間封印と知らされた時には、10年後なんてどうなってるか
分からないと思っていましたが、自分もたいして変わって
いなかったし、自分を取り巻く環境も、日本も変わっていなかった。
地球は大変なことになっていますが。」と発言して、
自分の事務所の社長をひやひやさせたそうです。

「日本はこんなに変わっているのに何を言ってるんだ。」と。

でも、私の中では、「変わっていない」と言うのは
「まだ生きていた」という意味だったんです。
つまり、10年後には死んでるかもしれないじゃない、と
思っていたんですね。

幸い、私は、どういうわけだか震災にも大洪水にも遭うことなく、
生きていました。

そして日本もまだ瀕死の状態ながら生きています。

けれど、政治家は「変わった」でしょうか。
一般民衆は甚大な被害を受け、家族や家を失って途方に
暮れながらも生きようとしているのに、
肝心の、国を動かす人々は「変わった」でしょうか。

変わったのなら、なぜ泊原発は再開するのでしょう。
なぜ地域の放射線量が行政から知らされないのでしょう。
豚肉は、卵は、野菜は子どもに食べさせても安全ですか?

そんな意味での「変わらない」を、
私はきのう、短い言葉に全部こめてしまいました。

反省です。
これでは、伝わりませんよね。

自分が思っているようなことは、人も感じているのだと
思い勝ちなのは、私の悪い癖です。

いえ、人はみんなそうした誤解のもとに生きているものかも
しれません。
だからこそ、言葉にすることが必要なんですね。

そして演劇も、それに加担するものかもしれません。

今に生きる自分たちの姿を、
今に生きる人々に見てもらう。
分かりやすい形で届ける。

私には、そして冬の第三舞台には
そういう使命があるのかもしれません。

顔晴ります。


8月27日(土)
かろうじて、まだ8月でした。
最近、びっくりするほど日記の更新が遅くて
申し訳ありません(汗)。

ツイッターをしているがために、何だか自分のことを
書いている錯覚に陥るのです。

そもそもがこのブログの名前が「つぶやき」でしたからねえ。

「つぶやき」っていいネーミングだと思ってたら
盗まれてしまいました…なんて。

でも、私の方は2002年に始めていたことは確かなのです。

しかし、ツイッターもミクシィも一応は始めてみた私、
ツイッターだけはやり方を覚えて、いろいろな方との交流が
あり、少ないツイートながらも続いてはいますが、
ミクシィは1回でやらなくなってしまいましたし、
フェイスブックなども全然手が出ません。

今より20年若ければ、難なくこなせるものでしょうか。

そういえば、機械類に限らず、今から始めるもので
ちょっと見、めんどうくさそうなものは敬遠しがちな昨今。

体ひとつ取ってもそうですが、
ひとつの動作をするのに、さっと頭の中でシュミレーションして
より簡潔にできるやり方を選んでいるような気もします。

20代30代の頃は、とにかくやってみて試す、というやり方が
何の苦でもなかったうえ、体を動かしたくてたまらない時期
でもありますから、「実行」がすべてだったかも知れません。

だから、そんな時期を得て、経験値がものを言い、
動く前に一瞬で分かる→効率よく動ける→無駄が省ける
という流れは、年齢を重ねるメリットなのかもしれません。

演技においても同じことが言えます。

40歳を過ぎる頃から、
自分の目指している第一到達ポイントには
すぐに行けるようになりました。

だから、そこから修正や膨らみを始めるのに、
時間の無駄がないんですね。

年を取るとはこんないいことか、と思ったこともあります。
時間の節約になる、と。

しかし、最近はまた、どんどん衰えていく肉体を維持する
ために、若い頃より時間がかかるのだ、ということも
わかってきました。

若い頃は成長するために時間を使い、
年をとると、維持するために同じように時間を使うもの
なのですね。

人間はやはり一筋縄ではいかない…。

だから、「アセンション日本」の私の台詞ではありませんが、
一瞬一瞬、今この時を大切に、
念を入れて生きなければと、本当に、切に
そう思います。

今この時は一生返ってこないもの。
だから遊ぶのも、人とおしゃべりするのも、一所懸命。
「一生懸命」より「一所懸命」の方があたってるのかも
しれません。

今日も本気で生きたい私です。


7月28日(木)
一昨日、「アセンション日本」の千秋楽を無事に迎え、
全日程を終了することが出来ました。

応援してくださった皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。

実は、中日過ぎに河野太郎さんのツイッターに書き込んで
返信をもらうあたりで、何かしらの妨害が入り、
私本人が気づかないように、フォロワーの数が0に
なっていたり、入れたはずのトレランスのURLが
エラーになっていたり、不可解なことがありました。

一説によると、経産省の妨害だとか。
それにしても、この程度の芝居やツイッターを妨害なんて
ちょっと小さいですよね。

もちろん、河野太郎さんはフォロワーが数十万人ですから
規模としては小さくないのかもしれませんが。

開き直って、「妨害されるほどの芝居です。」と
ツイートしました(笑)。

今回は、原発関係の赤裸々な内容だったので、
初日を開ける前は、どんな風に思われるか、少しだけ
不安がないと言えば嘘でしたが、
予想以上に、お客様の乗りも感想もよく、
最後は大絶賛のうちに幕を下ろしたという状況です。

意外に受けがよかったのが、ママ友。
「えー、ここまで言っちゃうの!?」
「えー、どこまでが本当なの!?」とはらはらして
見ていた人たちが、最後は「よかったあ〜」と
目を輝かせて会いに来てくれます。

やはり、子どもを持つ母親には放射線は無視できない
代物なのです。

でも、日本人、全体の問題ですよね。

この公演が終わっても、このことを考え続け、
仲間を増やし、この日本がよりよい方向へ向かうための
動きをしていきたいと改めて思う私です。

以下は、知人の熱いメールを載せさせていただきます。



《ある演劇関係者の感想文〜ちと長め〜》


風当たりが相当強くなることも覚悟の上で、敢えてあの
作品を上演した、作家、演出家としての上杉祥三の心意気、
信念は日本の演劇史上に残ると思うし、残らなければ
いけない作品だと思います。

あれだけの作品を短時間で書きあげて、舞台空間を上下
左右前後、余すことなく立体的でテンポの良い演出は
本当に見事でした。

音楽、最高でした。

祥ちゃんの役は、最初は命知らずの記者と思ってましたが、
霞ヶ関にドップリ使った高級官僚の合わせ鏡。

本音と建て前

その本音を吐露する祥ちゃんの鬼気迫る演技がすごかった
です。

鳥肌立ち放しでした。

ラストシーンの感動の余韻も消えない間に、上演後ゲストと
対談までやって、舞台上で繰り広げられた《ストーリー》を
さらに具体的に観客の心に残して行く。

また、それが何の違和感もなくスンナリと心に入って行き、
お二人の言葉を一字一句聞き逃すまい!と引き込まれて
行きました。

こんなことをやってのけるのは、今の演劇界では祥ちゃん
以外にはいないです!!

素晴らしいです。


物語は残酷な事実を突きつけてガンガン迫って来るけど、
観ている間中、不思議な幸福感に包まれてました。

舞台からメッセージを送り続けてくれる俳優陣と、客席で
受け取る私達観客とが
《ずっと繋がっていたい!》

《ずっと交感し合いたい!》

と思いながら観れるのは本当に不思議な幸福感でした。

俳優陣、本当に皆さん素晴らしかったですね。

長野さん素晴らしかったです。

有り得ないくらい美しくて、温かくて、優しくて、清らかで
本当に素晴らしかったです。

長野さんのあの美しい声、穏やかな微笑み、優しい表情、
可憐でいて力強い存在感、女神のような神々しさ…。

長野さんはあらゆるものを超越してますね。

菩薩ですね。

舞台に菩薩がいるから、客席で観ていて、あんなにも幸せを
感じることができたかも知れないですね。

良さんも素晴らしかったですね。

あんなにイヤミな役をイヤミになり過ぎず、とても上品で
愛すべきキャラクターにしてしまうのは、良さんの力量と
お人柄だと思いました。

霞ヶ関の毒にドップリつかった官僚も、心を取り戻して万感の
思いで

…ありがとう…

と言い、親子の絆の象徴の野球ボールを受け取る、
あの場面は本当に泣けますね。

手垢に汚れた単なる野球ボールかもしれないですが、掌に
スッポリと包み込める球体は本当にいろんなものを
想像させるよね。


ラストには希望に満ちて、観客一人一人が

心を込めて今を生きる。

自分がこれから何をすれば良いかに気づかしていただいて、
今の自分心に強く誓い、念じていたと思います。


あれだけの作品を短時間で書き上げ、あれだけのメンバーを
集めて、息をつかせないハラハラドキドキの連続で、
最後には大切なものに気づかして貰えて、これからどう生きて
行くべきか、まで考えさせて貰える素晴らしい作品を作り出した
祥ちゃんに

『あなたは天才』

と軽く言ってしまったことを反省してます。

『天才とは思わへんけど努力はしてまっせ』

と祥ちゃんが言ったけど、全くその通りだと思います。

祥ちゃんの血の滲む努力、ほとぼしる汗、身を削る思いが
溢れてるからこんなにも感動するんだよね。
もっともっとたくさんの人たちに観て貰いたかったですね。


今の日本に生きていて不安要素を感じながらも、
とりあえず目をつぶり、かと言って楽観的にもなれないで、
とにかく中庸を保てるようにして今を生きている人が
ほとんどだと思うけど、そんな人に観て貰って、
気配は感じているのに目をつぶって見ないようにしている
《不都合な真実》を少し覗いて欲しいと思いました。


とにかく

もう一度観たい!


いろいろ本当に大変だとは思いますが、再演も望みます。


7月1日(金)
7月ですね!
7月じゃないですか!
うわ〜。

今月21日から紀伊国屋ホールで始まります。
あと3週間になりました。

台本を読めば読むほど、
やはりこのことは大事だ、みんなに伝えなきゃという
気になります。
放射能のことです。

きのう、熊本に避難、永住を覚悟で移った友人が
留学先から娘さんが戻るというので、
一時東京に戻ってきたので会ってきました。

九州には、福島と言わず、東京を含めた関東から
避難している方が多いそうです。
そして、情報も割りと多く、東京にいる私たちが
知らないことも知っていたりします。

もんじゅが非常に危険だったこと(もちろん今も)、
祝島の住民が中部電力と闘っていたこと、
彼女が関心が高いせいもありますが、
活動家の人々から教えてもらっていることも
多いようです。

「事実」は知らなくてはいけないと思います。
知らないで、誰かが言うからそれに従うというのでは
もう日本も世界もやっていけないと思うのです。

そういう意味で、この「アセンション日本」、
多くの方に、今のこの日本の隠された事実を
より伝わりやすい形で、感動とともにお伝えできたら、
とますます思っています。

生演奏が入りますよ〜。
歌も歌ってしまうのです。

ダンスはないけど…。
きわきわの時事ネタがい〜っぱい。

また、ゲストがすごいじゃないですか。
だって、この方々は、私たちの連絡に、すぐに感じて
「ぜひやりたいです」と飛びついてくれた方々なんです。

実は、ほかに
落合恵子さんや佐高信さんや小出裕章教授までに
声をおかけし、そして皆さん、
「あ〜残念です。スケジュールがあきません」という
丁寧なお返事を返していただきました。

あの、中丸薫さんでさえ、スケジュールでキャンセルに
なってしまいましたが、一時は快諾していただいて
いたのです。

こういった人々が関心を持ってくださる公演です。

見逃す手はありませんよ!

今、すぐに「チケット」のボタンをクリ〜ック!

そして21日からの紀伊国屋でお会いしましょう。



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