9月30日(火) |
涼しいのを飛び越えて、晩秋のような肌寒さになって
しまいました。風邪などひいていませんか?
先週、またまた鹿島神宮と香取神宮を訪れる機会に恵まれ、
どうせならゆっくりしようと、潮来に泊まってまいりました。
潮来って、あの「潮来の伊太郎(字が違ってたらすみません)」
の潮来なんですよ。
6月にはあやめがきれいに咲いて、人も多く集まるらしいのですが
先日は寒くなりかけたシーズンオフの土曜日。
あやめ園には人っ子一人いませんでした。
思わず、いたろう像を見ながら、橋幸夫さんのように首を振って
歌ってしまいました。
二つの神宮には、今回はお宮参りや結婚式でにぎわっていた
ようで、こちらは人が多め。
だからなのか、神様の気配が直接降りてこなかったような…。
それでも、境内の古くて大きな樹木に触れたり、気をいっぱい
吸ったりしてリフレッシュしてまいりました。
神様と言えば、このブログに書いた「神様カード」について
何人かの方に聞かれました。「どこで売ってるの?」と。
何かここで紹介すると「あれって…」と聞かれることは今までにも
ありましたが、私は個人的には「脚やせホームエステ」について
聞かれるんじゃないかと思っていたんです。
でも、そちらは皆無でした。
ま、私がまだ成果を上げてないってことも大きいですね(^◇^;)
「神様カード」は(有)テンプルビューティフルというネットショップで
売ってます。http://www.caycegoods.com/
ここは、エドガー・ケイシーがリーディングによって紹介した
グッズのあれこれを扱っています。
ひまし油なんて是非やってみたいのですが、今のところ
これと言って悪いところもないし…と思いながら、つらつら読んで
いたら、「神様カード」に出会ったのです。
ほかにも、面白そうな物、健康に役立ちそうな物など多数
扱っていますので、興味のある方は立ち寄ってみてくださいね。
私はその後も数枚の同じカードを順番に引き続け、
あるカードは「崖から飛び降りろ」、別のカードは「今がチャンス」
そしてまたほかのカードには「いつまでその狭いところに
いるの?」とこれでもか、これでもかと背中を押されて、
やっと環境を整え始めたところです。
きのう、そのスタートラインに立ってみて、「まずまずだ」と
思っていたら、今朝ひいたカードは伊佐那美命(いざなみのみこと)。
「今が肝心かなめ」らしいです。
与えられたメッセージを解読するのも、なかなか容易ではないの
ですが、この神様カードには私たちを応援してくれるような
言葉しか書かれていないので、安心します。
そして「何のことだろう?」と考えるのも楽しいものです。
何よりも、絵が面白くてきれい。
そして何故だか有名な女神が出てくると、単にそれだけで
嬉しいのです。まるで、坊主めくりでお姫様が出て、もう一枚
ひけたときの喜びのようなものでしょうか…。
皆さんもぜひお試しください。
そして、使った感想など、教えていただけると嬉しいです。
では!
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9月18日(木) |
朝夕涼しくなって、過ごしやすくなってまいりました。
いかがお過ごしですか?
季節の変わり目は、過去を思い出させます。
ふと新しい風が吹き、忘れていた五感を呼び覚ますのです。
昔やった芝居のこと、出産したときのこと、
ロンドンでの生活、遊びに行ったニューヨークでのこと、
などなど…。
ここまで来るのはあっという間でしたが、
思い出の数を数えると、わたしも結構、生きてるんですね。
なあんて…。
最近、神様カードというものを手に入れて、面白がっています。
日本の八百万の神様の中から、48の神様をカードに描き、
そこにそれぞれのメッセージが書かれているものです。
いわゆるタロットカードのようなものですね。
どんなふうに使ってもいいらしいのですが、
わたしはもっぱら、一日一枚、その日の神からの
メッセージとして、心を静めてひかせていただいてます。
これが面白いのですが、どんなにシャッフルしても、
なぜか数日立て続けに同じカードをひくことがあります。
わたしはこれを知人にプレゼントしたのですが、
彼もそうだと言っていました。
一時、「健康に目を向けよ」という少彦名神(すくなひこなのかみ)
が続けて出てきたかと思ったら、その後の数日は、
高御産巣日神/神産巣日神(たかみむすひのかみ/かみむす
ひのかみ)でした。
これは「崖から大いなる海に飛び降りよ」というものでした。
3日くらい続けてひいて、一日おいて「まさかね」と
思いつつやってみたら、また出てきたときには本当に
どきんとしました。
何回も言ったのに、やってな〜い!と怒られたような気が
したのです。
しかし、メッセージの意味が分からないのです。
「崖から飛び降りろ」と言われても…。
固定観念を捨て、もう一度生まれ変わるのだということらしい
のですが、何をどうすればいいのやら…。
とりあえず、「新しい勉強を始めるのもいい」とあったので、
今までやったことのないことを始めてみることにしました。
今日も出るかな〜?と思いつつひくと、
今日は待ちに待った「木花之佐久夜毘売(このはなのさく
やひめ)」でした!
これは非常に美しい女神です。
富士山の守り神でもあります。
桜の花の神秘的で、激しいくらいに美しいエネルギーが
あなたに降りてきています、とのメッセージ!
ああ、やっと美しくなれるのね、なんて思うのは
お門違いなのでしょうが、そういえば今朝、
新聞の折り込み広告を見ながら、
「今度はこういうスタイルをしたい」と、まるで若い頃の
ようにファッションに関して、インスピレーションが
沸いたのでした。
こんなのは、出産して以来、長いこと忘れていた感覚
です。
要するに、おばちゃんになるな、ってことでしょうか?!
でも、いつかここに書いた”脚やせホームエステ”の
効果がやっと出始めてきた時だし、
大好きな甘いものもコーヒーもビールも我慢した
かいがあったなー(まだ一週間ですが)と
ひとり悦にいっているのであります。
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9月11日(木) |
今日は9.11ですね。日付を書いていて、気がつきました。
米国でも、すでにそういう噂が流れていると聞いていますが、
あれをもし、本当にブッシュが指示していたとしたら…。
数年を待たずに、アメリカは大変革を強いられるのでは、と
思います。
その時、大統領は誰でしょうか。
日本はどうなっているでしょう。
地震や水害などの天災が起きるペースと、政権が交代したり
今まで聞いたこともなかった、良識のない食品会社の詐欺事件
などが起こるペースがお互いに先を争っているような、
先の見えない社会になってきているようです。
昨年に引き続き、こどもの演劇ワークショップで
発表会を行うべく、作品選びをしていたところ、
ふとメーテルリンクの「青い鳥」を思いつきました。
そこで、原本のままの戯曲を読んでみたのですが、
これが意外に深いんですね。
ほとんど100年前に書かれたものとは思えないくらい、
テーマとしても、現代に通じる。
チルチルとミチルのきょうだいが、
魔法をかけられて青い鳥を探しに行く先々で出会う場所が
「幸福の国」やら「夜の宮殿」やら「未来の国」やら
さまざまなものがあるのですが、
たとえば、「幸福の国」では、出てくる幸福さんたちに
名前がついている。
「健康の幸福」とか「こどもの幸福」とか「両親を愛する幸福」
とか「よい空気を吸う幸福」とか…。
そしてその人々が口をそろえて、チルチルたちに、
「私たちがあなたの家のすみずみにまで満ちているのに
気がついていないでしょう?」なんて言うのです。
確かに、健康であることの幸せは普段忘れているし、
こどもでいることの幸福は一瞬の夢だったような気がするし、
よい空気をすう幸福に至っては、たまーに田舎に行って
思い出す始末です。
この幸福の国で、もっとも光輝いているのが「母の愛のよろこび」
なんです。
この「母の愛のよろこび」というのは、実際の彼らの母親なのですが
もっと若くてきれいで、身なりがいいのです。
そしてチルチルたちを抱きしめて言うのには、
「おまえたちはここを天国だと思っているかもしれないけど、
おまえと私がキスするところは、どこだって天国なんだよ。」
うーん、この世の天国って、「愛」があるところなんですね。
そのほか、環境破壊のような話も出てくるし、
「未来の国」では、生まれる前の子供たちがたくさんいて、
みんなそれぞれ、地球に生れ落ちてからすることになっている
発明を研究しているのです。
機械を発明していたり、「大人が悪いことをしなくなる薬」を
発明していたり、それから病気や戦争を持って生まれることに
なっている子どもたちもいます。
それらの子どもたちは、順番に並んで、時のおじいさんの
合図によって、地球に落ちていくのです。
生まれる日時は決まっているので、順番が狂うのは許され
ません。
地球に別々に生れ落ちなくてはならない恋人同士もいるのです。
そのほか、さまざまなエピソードが、今読んでも新鮮で、
というよりむしろ、今だからこそ信じられる真実に満ちている気が
するのです。
そして極めつけは、その主題。
しあわせの青い鳥を探してあちこち旅をして帰ってきたチルチルと
ミチルは、もとの家に飼っていた鳥こそが、「青い鳥」だということに
気づくのです。
しあわせは遠くにあるものじゃない、今ここに、この瞬間に
この手の中にあるのだ、と気づかせてくれる終わり方です。
こどもに見せて分かるかなあ?と思いつつ、分からないなりに
子ども時代に、演じたり観たりする価値のある本だと思いました。
12月に発表会を予定しています。
もし、世田谷区近隣にお住まいで、小学生のお子さんをお持ちの方が
いらっしゃいましたら、参加してみませんか?
こどもたちは嬉々として、お芝居作りに参加しています。
今だったら、まだ役がありますよ〜。
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8月27日(水) |
女優の深浦加奈子さんが亡くなりました。
こう書いていても、信じられません。
深浦さんとは、ここ10年近くも交流がなかったにも
かかわらず、訃報を聞いてものすごくショックを
受けました。
1歳しか違いませんが、憧れの女優さんだったから
でしょうか。
今から20年も昔、わたし達は小劇場のスターなどと
もてはやされ、時折同じ舞台に立つなど、劇団同志の
交流もあったものです。
深浦さんは「第三エロチカ」のヒロインで、その美貌と
現実離れした存在感の持ち主で、いつも圧倒されました。
舞台を降りても、魅力的な人柄で、あの美しい顔で
歯に衣着せず、しっかり自分の意見を言うものですから、
そばで感心していたものです。
それでいて、やさしくて、ざっくばらんで
人間の大きさを感じさせました。
数年前、体を壊して療養中と聞いてましたが、
その後また復活され、時々テレビなどで元気な姿を
確認し、「そのうちどこかで会いたいな」などと
思っていたのです。
「死去」のお知らせはいつも突然です。
いつも「終わり」しか知らされないのです。
そして、わたし達はそれまでの間、病気だと知っていても
会いに行かなかったことを悔やみ、自分を中心に
生きていたことを恥じるのです…。
昨年も大切な人が逝ってしまいましたが、
今回は同世代の同姓だったので、悲しみとともに、
考えさせられてしまいました。
彼女は48年間という短い生涯、何を思って生きて
いたのか、「死」をどう受け止めていたのか、
自分の死亡記事を読んだらどう思うだろうとか、
彼女の死を悼んでいる人はたくさんいるだろうとか、
そうして、かつて彼女の周りにいた人々の顔が
浮かんでは消えるのです。
自分のことにも考えが及びました。
今、わたしが死んでも悲しむ人は何人いるだろうとか
自分が病気の宣告を受けたら、果たして最後まで
頑張って生きれるのだろうか、とか…。
とりあえず、わたしはまだ生かされるらしい。
だったら、日々一生懸命生きなくちゃと、また
新たに思い直すのです…。
そんなことに気づかせてくれて、「ありがとう」。
ほんとにほんとに残念ですが、
加奈ちゃんのご冥福をお祈りします。
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8月26日(火) |
いやはや、もう秋ですね〜。
季節っていつも突然変わるものだとは認識して
おりましたが、こんなにあっけなく涼しくなるとは…。
あれだけ「暑い暑い」と言ってたのが、懐かしいくらいです。
不思議なもので、涼しくなった途端に一変するのが、
食欲。
暑いときは、つるっと入るものなら、
あるいは冷たいものなら何でもオーケーくらいなものでしたが、
ここまで気温が下がると、
胃袋なのか、舌なのか、ただの脳の反応なのか、
ちゃんとしたものが食べたくなるのです。
そして、夏の間に締まっていた体が、知らない間にぶくぶくと
…。
実は、今年の私にとって夏というのはまさにお盆までで、
自分の誕生日の15日がピークでした。
その夜にお祝いで家族で外食し、
たんまりご馳走を戴いたところ、あっという間に、
夏の間の努力が水に流れて行きました…。
その後、取り戻そうとはしていますが、折りしもこの気温。
あれもこれもおいしい季節に突入なのであります…。
夏の間、話題の中心になっていたオリンピックも
熱や論議を残しながらも、閉会しましたね。
こうして終わってみると、オリンピックって
本当に国を挙げての大事業ですね。
あの為に、どれだけのお金が動き、どれだけの人力が
尽くされたことか…。途方もない単位だと思います。
そして、その華やかな舞台で活躍する選手たちと、それを
支える人々。
今回は、オリンピック選手とその家族がどれだけ強い
結びつきで、この最大の山場にチャレンジしたのかに
つい目が行ってしまいました。
親が子を支えるのはもちろんのこと、
ちょっと驚きだったのは、
きょうだいがパートナーになっていたり、
トレーナーになっていたり、心の支えになっていたりした
ケースが意外に多かったということです。
自分のきょうだい関係を考えても、自分の人生を費やして
きょうだいの選手生活のために奮闘したり、
また一緒に歩んできて、どちらかがやめるからと言って
自分も目標を見失うなんてことがあるとは、ちょっと
想像しにくかったんですね。
わたしのきょうだいが特別仲が悪いということではなく、
まあ、ごく普通だと思うのですが、
それほどオリンピックに出るような選手になるには、
まわりのサポートが必要だし、またそういう環境を
選んで生まれてきているのでは、と思わされました。
そして親と子。
チチローじゃないけれど、やはりオリンピック選手が
生まれる環境に、絶対必要なのが、親ですよね。
ここから先は「ワーキングママ」のフィールドですが、
コーチや指導者がつく前に、そもそもそのジャンルを選ぶ
時の要の存在になっているのが親だと思います。
もともとその競技をやっていたり、選手だったり、
先生だったり、似たような種目で活躍していたり…。
やはり、先鋭の世界では、よき理解者や後援者や
指導者が最初からついているものだということでしょう。
クラシック音楽などと同じように、特別な世界なんですね。
そしてその競技に出会った幼い頃から休まずに
一日24時間、それに時間を費やし、そのことばかりを
考え過ごすことが一般人には、とてもできないことだから
そういう人々の闘いが、こんなにも感動を呼ぶのでしょう。
4年ごとに、1分1秒を争うなんて、私にはとてもできる
芸当ではありません。
しかも、失敗したり不調だったりした場合、4年間も
その残影に苦しみながら練習しなけりゃならないなんて。
よほど強い人々なのだと思います。
惜しみない拍手を送りたいと思います。
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8月13日(水) |
一時、気温が30度くらいになって、信じられないくらい
涼しいと感じた時がありました。
が、また最近どうも湿気が多いのか、体中の水が反応して
一緒にぬるまっているような…。
道端の緑も、もう日に焼けて、すでに緑というより
茶色に近いような、夏もここまで来ると、あらゆるものが
暑さにくたびれて見えます。
でも、8月はあと半月以上もあるんですね。
夏バテしないように、皆さん体調には気をつけてください。
さて、前回の伊勢への旅行で、外宮の偉大さにひれ伏した
私めは、今度は千葉の香取神宮、茨城の鹿島神宮に
お参りしてきました。
この二つの神社は、平安時代には伊勢神宮と合わせて、
日本に「神宮」と呼ばれるものが3つしかなかった、
そのうちの二つだそうです。
二つの神社は、ともに戦いの神様だそうで、国を護るお力が
あるとか。
だから、鹿島アントラーズはここへのお参りを欠かさずして、
いつも強さを保っているのだそうです。
それなのに私たちは、かれこれ10年程前、ここにお参りに
来て、「どうぞ子供を授けてください。」と場違いなお願いを
したのでした。どこにも「子授け」とは書いてないのに。
それも通りがかりでなく、わざわざこれらの神社を選び、
足を延ばして来たのでした。
その頃はまだまだ勉強が足りなくて、由緒正しい神社なら、と
いう気持ちだったのでしょうが、果たしてたどり着いた神社は
どちらも霊験あらたかな、立派な神社でした。
10年前、今ほどそういったものに敏感ではない頃にも、
「いい神社だな。」と感じたくらいです。
どちらも杜が深くて、入った瞬間に世界が変わります。
だから、今回もとても楽しみにしていました。
まず香取神宮。
夏休みだというのに、境内には私たちしかいないようです。
久しぶりの凛とした空気に触れて、またまた感動。
願いが叶って出産して、本当はもっと早くお礼参りに来るべき
だったのに、「こんなに遅れて申し訳ありません」と
心の中で謝る私を、大きな温かいものが包んでくれたような
気がしました。
「おかげさまで、いい子に恵まれました。家族三人、幸せです
…」とここまで報告したら、もうあとは何とも言えず、ただただ
「ありがとうございます」と頭を垂れるだけです。
体の中から熱いものがこみあげてきて、涙を抑えられませんでした。
ほんとに、なんでこんなに泣けちゃうんでしょうねえ。
先にお祈りを済ませて待っていた娘が「おしん、見たの?」と
揶揄してました。
(先月、二人で新橋演舞場に「おしん」を観に行ったのです。
あまりに可哀相さに、私はボロ泣きだったもので…)
鹿島神宮は、わりといつもにぎやかなようです。
とにかく、境内が広くて、まず本宮にお参りした後、奥の道を
歩き、飼われている鹿を見たり、池に行ったりするのですが、
ここは奥宮に神様がいらっしゃる気配を感じました。
いらっしゃいますね、鹿島アントラーズを守る神様。茨城の
地を護る神様が。
でも、外から来た者にも、とてもおやさしいよう。
ここにも「場違いなお願い、申し訳ありませんでした。」と
深く頭を下げました。
不思議なのは、池の近くに湧き水があって、その横に、その
水を使って料理をする店が一軒建っているのですが、
36度という猛暑の中、冷房も使わず、窓を開け放している
だけです。そして、中に入ると、汗がひいて寒いと感じるくらい
涼しいのです。
「気」というのは、面白いものです。
帰って来てからも、ふと目を閉じて、あの「気」を思い出して
みると、それぞれの神様の温かさや、神社のひんやりした
空気を身近に感じることができ、何だか神様って、とても
人間に近いのでは、なんて漠然と思ったりしています。
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8月4日(月) |
夏も折り返し地点を過ぎ、今年もあと4ヶ月。
暑くてばてて、寝られる時につい睡眠を、と
うたた寝のつもりがぐっすり昼寝、なんてことを
している場合じゃないですね。
私ももうすぐ、また一つ年を取ってしまいます。
けれど私は、今年のお正月に、「今年はもう
〇〇歳かぁ…」と数え年で自分の年を考えた瞬間に、
なぜだか気持ちがその年になってしまい、この半年間
実年齢よりも一つ年を余計に取っていました。
同い年の人と会って、「あれ?まだ〇〇歳だっけ?」
なんて思うこともしばしば。
だから、今年の誕生日は得したような???
年を取るショックが薄いです(笑)。
我が家も珍しく、早々に海に出かけてきましたが、
きれいな伊勢の海に、くらげを発見。
「おや?」と思いましたが、被害にも会わなかったので
気にせずに帰ってきましたが、うちに帰って新聞を読んで
びっくり。
全国の海に、7月中からくらげが出没しているとか。
刺されて病院に行った人もいるらしいと聞いて、
あれは見間違いじゃなかったんだと再確認しました。
異常ですね。
来年から、海水浴もおちおちできなくなってしまうのでしょうか。
私たち人類が自然に対してしてきたことを、今しっぺ返し
されているような気がしてなりません。
そんなこんなもあり、自分たちのこと、身の周りのこと、
そしてこの地球に安心して暮らせるようにと、
神様にお参りしてきましたよ〜。
久しぶりの伊勢神宮でした。
今回は欲張って、まわりにある月読みのみことの神社と
倭姫をまつる神社、それに少し足を延ばして、伊雑の宮にも
行ってきました。佐留多彦にも。
朝6時前に家を出て、伊勢市に着いたのが10時過ぎ。
はるばる東京からやってきたという気持ちが手伝うのか、
一番最初に外宮におまいりすると、必ず感激して涙が出て
しまうのです。
人もいっぱいいるし、ざわざわした所なのに、お賽銭を投げて
手を合わせ、目を閉じた瞬間に、「ああ、ここまで来れました。
やっと来れました。ありがとうございます。」という気に
なってしまうのです。不思議です。
2年前に行った時も、まさにそんなふうだったのですが、それは
5年ぶりだったからだろうなどと思っていましたが、どうも
そういうことではないらしく。
やはり、神様がいらっしゃるのでしょう。
宇宙に繋がるスポットだと言うだけに、畏敬の念で、思わず
ひれ伏してしまうのかもしれません。
それから、天照大神はここにいる、と言われている
伊雑の宮では、近くの「日本一の米がとれる」という田んぼに
ものすごく神聖なものを感じました。
思わず、へなへなと寄って行きたい衝動にかられました。
私はまったく霊感というものがないのですが、
霊験あらたかな場所は、普通の人と同じように分かるようです。
それから倭姫!
実は「クレオパトラの鼻」という芝居をやって、もう4年になろうと
していますが、その冒頭で倭姫の役をやらせていただいてたので、
私としては是非おまいりしたかったところ。
手を合わせて目を閉じたら、思わず謝ってしまいました。
「拙い演技ですみませんでした。勝手にやらせて頂いてすみません
でした。」と。
そして厚かましくも、「もし機会があったら、どうぞまたやらせて
頂ければ嬉しいです」と心の中で唱えると、
目をあげた瞬間、とても温かいものを感じ、それがまるで
「いいよ。」と言って下さったお答えのように思えて、嬉しかったです。
目に見えないものって、つい思い違いや勘違いかと思いますよね。
でも、心の中にひらめく直感は、きっと間違いのないものなのだと
信じています。
たとえ間違いであろうとも、自分の心がほっと安心したり、
うきうきしたりしたならば、きっと「正しい」のではないでしょうか。
素晴らしいパワースポットに触れて、私も少し穏やかな人間に
変わっていたらいいのですけど…。
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7月18日(金) |
明日から夏休み!
この「!」マークはあくまで子供の気持ちになっただけで、
現実の私は「!」な気分でもないのです。
なぜかって…。
日中の家の中には、主婦一人でいるのが健全。
エネルギーを持て余した子供と、この暑い夏にしょっちゅう
家の中で顔をつき合わせることを考えると…。
さらにうちは仕事不定期な家なので、へんな時間に
夫と二人でいることもあり、さすがの私たちも会話が途切れがち
だったりして…。
でも、家族が健康で一緒に過ごせる時間がたっぷりあるなんて、
なんて幸せなことでしょう。
だって、いつかはきっと離れ離れになってしまうんですから。
さてさて、この暑い夏に最近私が夢中になっていること。
それは「脚やせ」です。
ある時、ひょんなことから「脚が気になっているのなら…」という
広告を目にしたのですが、それがその時の私には
ものすごくタイムリーで、なぜかというと、先月マネージャーに
「下半身太った?」とただの質問のようなお小言のようなものを
戴いていたからです。
できる時は週に2回バレエに通っているからと言っても、脚だけは
筋肉がつくことはあれ、なぜか細くならなくて、どうしたもんかと
悩んでいたわけです。
この「脚やせホームエステ」、ネットで誰でも購入できる代物ですが、
中身はかなり情報に溢れていて、なかなか優れものだと思います。
(ただし効果的なのかどうかは、私もまだ実証できていません。)
脚が太くなる原因は、ほとんどがむくみだって知ってました?
その、むくみの取り方や、それから根本的な食事の問題や日常
生活。
事細かに説明してくれていて、「なるほど」と思うこと、いっぱい。
大体、「ある飲み物を常用していると脚が細くなります。それは
モデルだけが持ち歩いているもので、コンビニなどで
安価で買えるのです…」
購入したら、この飲み物を教えてくれるなんて言われたら、
ものすごく想像力たくましくなって、脚やせに興味なくても、
ついお財布の紐をゆるめてしまいそうじゃありませんか。
ゲーム感覚で、それは何だろう?とあれこれ考えていましたが、
結局思い当たりませんでした。
そして、買ってみてから、「へえええええ」の一言。
健康オタクな私としては、体に関しては、結構研究してきたつもり
ですが、これもその一部とリンクしていて、こんなところにも
こんな概念が…と驚きました。
何を言ってるのか、さっぱり分かりませんね。
興味のある方、是非挑戦してみてください。
何が書きたかったかというと、その教材では、とにかく一日中、
脚のことを考えていなさい、と示唆されているのです。
そうして、ちょっとお手洗いに立った時に、軽い運動、
メールを打ちながらマッサージ、お風呂に入りながら
あれこれと、とにかく使える時間を細切れにどんどん使う。
夜寝る前には、きれいになった後のことを思い浮かべ、
朝起きてすぐに、そのことに向かって活動を開始する。
これは、まるで「マーフィーの法則」では、と思ったんです。
「なりたい自分」を思い浮かべ、しょっちゅうそのことを考え、
手帳に「なりたい自分」に近いイメージの写真を貼ったり、
壁に絵をかけたり、寝る前にはそのことを思い浮かべる。
違うのは、運動という「実践」。
でも、これは「マーフィーの法則」では、すでに手に入れたと
いう実感を持つことにあたるのでは、と思ったのです。
こういう努力は、きれいになるためだけでなく、人生全般に
使えるんだ、と改めて納得してしまいました。
ただ、違いは目の前に「脚」という物体があるかないか。
目に見えない状況(家族に囲まれて幸せに暮らす、とか
お金をうんと稼いでセレブのように暮らすとか)については
想像力を働かせなくてはなりません。
それができるかどうかが分かれ目なんですね。
またひとつ勉強してしまいました。
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7月11日(金) |
ガソリンや食料の大幅な値上がりに、否応なく慣らされて
来た今日この頃、皆様はお元気でお過ごしでしょうか。
今年の梅雨は集中的に降って、後は晴れるという
「割り切りのいい(?)」雨の降り方だったそうです。
確かにおかげで、じめじめ暗くならずにすみました。
人の気持ちはかなりお天気に左右されますものね。
おひさまが出てくると、今まで沈んでいた心が「ま、いっか」と
あっけなく晴れてしまうことがあります。
太陽のエネルギーというのは、光合成で植物を育てたり、
蓄電したりするためだけでなく、人心にもはっきりと影響を
与えているのだと思います。
さらに、この現代は太陽エネルギーというのが高まっているらしく、
ある人に言わせると、ちょっと昔はお経で現世利益が叶っていた
ところが、最近はなかなかそれがうまく行かない。なぜかと
言うと、最近は太陽のパワーが強くなっているので、
「ありがとう」と感謝することで願いが叶っていくのだそうです。
私もじゃばじゃばの雨に打たれて、私らしくもなく沈んでいたときが
ありました。
そんな時はどんなに「シークレット・シフター」を使ってもだめだったり
するのです。
でもその代わり、「ありがとう」をいっぱい言ってみました。
数日たって気がつくと、何となく嬉しいことも起こるようになってきて…。
きのう、前回このブログでご紹介した今野さんのご本を薦めてくれた
知り合いの方に、このブログのことを誉められてしまいました。
「読むと爽やかになる」って。ありがとうございます。
嬉しいですね〜。こんなに嬉しいことはありません。
たとえお世辞であっても、数時間続いた「嬉しかった気持ち」は
私のものですから、そしてそれのために、日常のささいな1シーン、
1シーンが輝いて見えたとしたら、それだけで感謝です。
単純でも、おめでたくても、幸せな方がいいですよね。
そういえば、きのうはほかの友達にも別のことでお世辞を
言われ、ちょっといい気分でした。
おとといも、ママ友に、また別のことで誉められて、
まんざらでもなく…。
下を向きがちだった私に、守護霊さんがポンポンと肩を叩き、
「そんな卑下することもないよ」とそっと言ってくれたかのよう。
思わず、へりくだりもせず、満面の笑みで
「あら、ほんと?ありがとうございます!」と言ってしまいました。
私もごく最近です。
こうやって、誉められた時、悪びれもせずに「ありがとう」と
言えるようになったのは。
それが見え透いたお世辞であっても、わざわざ言ってくれた
その人に感謝。
そしてまた、単純に喜んでいる私のおめでたさも自己肯定
しちゃいます。
だって、「シークレット・シフター」をいつも募集中ですから。
自分の怒りグセは、前世からのカルマであることが多いから、
何かあってカッと来たら、それをいちいちノートにつけておくと
よいと中丸薫さんはおっしゃってました。
そうすることによって、自分の思いグセが分かり、カルマを
解消する手立てになってゆくと。
これをつけ始めた私は、大体つけなくても分かるようになって
来たのですが、今日、このマイナスのことじゃなく、プラスの
嬉しかった出来事をつけていった方がいいのでは?と
思いつきました。
もちろん、カルマを解消するためでなく、自分がいつも
幸せでいるために。
沈んだ気持ちの時、落ち込みそうな時に、それを取り出して
読んでみたら…?
ひょっとしたら、「私って、こんないいところがあるじゃん!」とか
「能力があるかも!」とか「まわりの人に大切にされてる」とか
「こんなに幸せなんだ」と気づけるかもしれません。
そしてそんな気分を持続して、今度は周りの人を誉めたり、
励ましたり、慰めたり、元気づけたりしてあげられたらいいですよね。
皆さん、今日は一つ、一つと言わずいくらでも、誰かを
誉めてみましょうよ。
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