2007年
12月30日(日)
きゃー、年の瀬ですね。
しかも日曜日ですね。
今日は電車がすいてるでしょうね。
そう、今日も稽古の私です。稽古納めではありますが。

しかし…
年末27日から30日の稽古って、主婦としてはつらいものが
あります…。
どうも、いろいろな事情でこういうスケジュールを
組まざるを得なかったようではありますが、
掃除もしないで新年を迎えるわけにはいきませんしねえ。

こうなることは分かっていたのだから、少しずつやって
おけばよかったのに、と思われるむきもあるでしょうが、
これでも努力はしたのです。
年賀状も、珍しく要領よく、1枚も刷り損じを出すことなく、
不在中の夫の分まで一言添えて出しましたし、
掃除も台所付近の気になる部分は一応、やってはあるのです。

でも、大掃除ってやはり、模様替えを含みますよね。
どこかが大きく変わり、どこかがぴかぴかになってこそ、
「ああきれいになった」とため息をつくものではありませんか。
まあ、そうは言っても、今年は、明日窓を磨くくらい、目に付いた
ほこりを払うくらいでよしとしなくちゃなりません。

それにしても、12月は忙しかった…。
今年はスタートはばたばたで、特に私生活がめいっぱいでしたが、
春になってそれも落ち着くと、急に暇になり、秋になっても暇で
ありゃりゃ?という感じでしたが、11月ごろから急に忙しくなり、
終わりは「何?この急展開は?」と言う感じでした。

忙しいのは嬉しいことです。
でも、この嬉しい忙しさは、前半の静けさの中で一人、黙々と
瞑想したり研究したりしたことによって、もたらされたもので
あるような気がしてます。
静と動。どれもムダにはなっていないんですね、きっと。

来年明けると、もっと忙しくなる予定。
仕事をいくつも掛け持ちするって、殆ど初めての経験なのですが、
慌てることもなく、一つ一つ着実にやっていけばいいという気も
しています。
こんなふうに思えるのも、すべて経験によって培われた智恵
でしょうか。
なああんて言って、すでにもう、忙しさからのプレッシャーによって
風邪をひいてしまっていますから、かえって開き直っているのです。

とにかく、子供のワークショップ発表会が無事に終わって
ほっとしてます。それで、声が出なくなり、翌日の稽古開始へと
なだれこんだのでした…。
体は正直。大切にしてあげましょう。
来年はますます頑張ります。
人のために、全体のために、労力を惜しまずに力を尽くして
みたいと考えています。

今年もこれを読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。
どうぞ、来年もよろしくお願い致します。
皆さんにとって素敵な年越し、年明けでありますように。

12月17日(月)
朝晩、めっきり冷え込んで、日中も暖房が手放せなくなりました。
風邪などひいていませんか。

大事なことを抱えているとき、いつも思うのですが、
それが難関であればあるほど、
「終わりが来るのはいつだろう?」と。
そしてそれが終わった瞬間、やはり月日は公平にめぐってくるのだと
あらためて実感してしまうのです。

舞台の初日と楽日によく思います。
特に、「産みの苦しみ」で悩んだりつまづいたりしている舞台は
「ほんとに幕が開くのだろうか?」といつも思い、そして
いつもきちんと初日がやってくることに、
へんな感慨を覚えるのです。

今回は、いろいろな種類の仕事やら趣味(?)を抱えていて、
11月の半ばから、ちょっと勾配のきつい山道を、杖をついて
登っているような気持ちでした。
これが終わると、次。そして、次と。

そして、先日ラジオドラマ「嘘と真実」の収録が終わって、やっと
8合目に来たような気持ちがしました。
終わってみると、このラジオドラマがいかに大変だったか、
よく分かります。
前日、リハーサルを終えて、自分でもまだまだだなと感じて
その日よく眠れませんでしたもの。

同じ演目を舞台で演じたという経験がありつつも、
ラジオはとても気を遣います。
うまい・へたが如実にばれてしまうからです。
舞台は顔や全身を使って、また目に見えないパワーで
もっていくことはできますが、ラジオはそうはいかないのです。
微に入り、細にわたり、繊細な技を競うメディアです。
しかも、やる前にディレクターがそんなことをおっしゃっていたと
聞かされては、勢いがすべての小劇場出身の私としては、
身がひきしまるというものです。

実際、初めてお会いするそのディレクターの方はそれほど
きびしい演出はなさいませんでしたが、あいにく
うちにもっときびしい演出家が(今回は作家ですが)
おりました。

でも、何か言われるということはいいことです。
言われても引き出しをもっていない若い時や、余裕のない時は
ダメだしを受けて、迷宮に入ったり、萎縮したりしていたものですが、
最近は「自分が伸びるチャンス」と思うことができます。

だから耳の痛いこと言われても「ありがとう」という気持ちに
なるんですよね。
本当に、若い頃、こんな謙虚な気持ちですべてのダメだしを
聞いていたら、今頃すごい女優になっていたかもしれないのに!
なんて思います。
ま、すべては必然。今、気づいただけでもよかったと思い直し。
それに、言われてもすぐにはできないこともたくさんありますしね。

とにかく、「嘘と真実」はかなりいい仕上がりだったのでは、と
思います。
3年前、二人芝居として上演したときとはまた違うテイストに
なりました。結末も変わっているし、何より、ラジオの構造を生かし
複数の人々が出てくる手法になっています。
今まで、二人で演じ分けていた登場人物の生の声(?)を
聞いた時、私たちは(目からでなく)耳からうろこが落ちたように
感じました。
世界が一気に広がったのです。驚きでした。

特に大女優の栗本輝美役の二宮さよ子さんの声には存在感が
あり、私がふんばってもどうしても出せない貫禄がありました。
なんたって、あの杉村春子さんの直系のお弟子さんですから。
大女優が若い女優をいじめるシーンをやっていただいたとき、
杉村春子さんの口調をまねてくれて、目を閉じて聞いていたら、
往年の杉村さんがそこにいらっしゃるような気にさえなりました。

二宮さんにこの役をやって頂いたことで、作品の質が向上した
ばかりか、私の想像力が刺激されて、とても楽しいお仕事に
なりました。

その夜、夫がいたら二人で、いい作品が生まれたことに乾杯
するところだったのでしょうが、あいにく彼は京都へ旅立ち、
私は一人でワインをなめていましたが、あんなに充実感を
感じた夜は久しぶりでした。

どうぞ1月5日をお楽しみに。

12月3日(月)
師走になりました。
師も走る、と書いて「しわす」。
私はしがない子供演劇ワークショップの先生ですが、やっぱり
気持ちだけは走ってます…。

年の暮れと言えば、年賀状の手配を気にしているところへ
喪中はがきが舞い込んでくる季節でもありますよね。
今年もパラパラとそれはやってきていたのですが…。
これまでは、知人のご家族が多かったものでした。
多くはお父様・お母様、でも、意外にお祖父さんやお祖母さんも
いらして、私も父を数年前に亡くして、喪中はがきを出した
経験もあり、そういうこともあろうかと思うケースもありましたが、
やはり年のせいなのか、最近ドキッとするはがきが増えました。

そのうちの一つ、以前東京新聞の記者だった庄司正さんの
訃報には驚きと悲しみを隠せませんでした。
現役を引退されてからも、公演の案内を出すと必ず来て頂けた
ものでした。そういえば、今年の春のお芝居にはお顔を出して
いただけなかったなとは思っていたのですが、
ご病気であることすら知りませんでした。
本当にショックです。

庄司さんには、私が第三舞台以外の外部公演に
出演し始めた時、お祝いのように取材に来て下さって、
大きなインタビュー記事にして下さったり、
トレランスの旗揚げ公演の時も、さっそく記事にしてくださったり、
インタビューそのものの中でも励ましのお言葉を戴いたりして、
とても感謝したのを覚えています。
ずっと文化欄の記事を書いてきて、あまたの役者や芝居を
観て来た人が、自分を応援してくれていたなんて
なんて有り難かったことでしょう。
やさしくてお父さんのようでもあり、私にとってはとても
貴重な存在でした。

告別式にも行けなかったのが悔やまれます。
このページをお借りして、ご冥福をお祈りします。

実は、今年はこの庄司さんを含めて、三件の悲しいお知らせが
ありました。
その一つは、以前ここにも書いた南風さんですが、
もう一つは、転校先の4年生から6年生まで受け持ってもらった
小学校の先生です。
古郡先生は私の小学校から大学までを含む学校生活の中でも、
ひときわ印象深い、大好きだった先生です。
転校して不安だった私も、先生のクラスに入れて、すんなりと
受け入れられ、健やかな子供時代を過ごせて本当にラッキーでした。
今年、またクラス会をやりたいと同級生が連絡したときは、
すでに遅かったと聞きました。
ここでもお線香の一本もあげられなかったのが残念でしたが、
数年前に公演に来ていただき、お会いできたこと、
それから毎年毛筆の丁寧な年賀状を戴けたことがせめてもの
慰めです。ご冥福をお祈りします。

この世で関わった人、そして特に大事な人、お世話になった人には
時々連絡を差し上げなくちゃいけませんね。
今年の私の教訓です。
そして、亡くなった方々にあらためてお礼を言いたい気持ちです。
本当にありがとうございました。


さて、気を取り直して、お知らせです。
3年前に新宿シアタートップスで上演した、上杉祥三との
二人芝居「嘘と真実」が、この度ラジオドラマとして
テイストも新しく、放送されることになりました。
放送日は20年1月5日(土)22:00〜22:50
NHK FMシアターです。
今回、ラジオ用に少し書き換え、また二人芝居に出てくる
人物を登場させて、声だけのドラマに幅を持たせています。
まだ、撮っていないのですが、楽しかった芝居だけに、
こういう形での再演が楽しみです。

もう一つ、お知らせ。
今週から最終回にかけて、木曜10時からのフジテレビ
「医龍」に出演します。よかったら見てね。

11月29日(木)
ほっ。11月中に更新することができました。
ほんとにお久しぶりですみません(^◇^;)
今週月曜日でやっとひと段落。
そうしたら、まんまと風邪をひいてしまったというわけです。

おかげさまで、ワークショップの発表会も無事すみました。
最後の1週間くらいはみんなドタバタで、
思うように演技できなかったかもしれません。
大体、誰かの前で発表するには、短すぎる稽古でしたからね。
それでも、照準を定め、気持ちを集中させていくと、
ある程度の作品になるんだなと実感しております。
そしてそこが演劇のすごいところ。
一人ではできないことも、仲間と一緒に作るのだという意識が
あれば、やれてしまうものです。
今回はさらに、その仲間である周りの人間に、どれだけ自分が
「与える」ことができるのか、そこを意識しながらやろうという
目標がありました。

自分がまだ未熟な時、或いは準備が足りなくて平常心が
保てないときは、周囲に「与える」ことはできませんよね。
逆に人から与えられたものを、素直に受け取り、消化していく
ことが先決となりますが、それでも「自分からも」という意識
さえあれば、少しずつ形にしていくことができると思います。
たとえば、受け取ったものに対しての「ありがとう」という言葉。
これに笑顔がついてたら、立派に「与えた」ことになると思うのです。
それから、人を気遣うこと。
もう一つ、具体的にできること、「掃除」かな。

自分が思うとおりにできなくて、パニくってしまうこともあるでしょう。
そんなとき、一つ息を吐いて、周りの人を見渡し、
それから身の回りをきちんと整理する。
こんなことだけで、展開がありますよ。
 
今世の中で大流行の「そうじ力」。
実際、どんな効果があるのだろうと私も実践してみました。

神様はきれい好きな人が好き、と読んだことがありますが、
神社やお寺は実際、きれいに掃き清められていますよね。
だから空気がきれいだし、霊験あらたかと言えるのでしょう。
とすれば、いつもきれいな心を持ちたいのなら、身の回りをきれいに
すること、これ必須だと最近痛感してます。

特に、トイレ掃除は気を入れます。
ワークショップの発表会があった場所のトイレでは、腕まくりをして
やりました。
そのほか、ここぞというとき、その場所のトイレで奮闘しています。
京都の撮影所でもやりました。

おかげさまで、効果抜群の気がしてます。
発表会もうまく行ったし、京都では何もトラブルはありませんでした。
帰りの新幹線が紅葉の時期の観光客でいっぱいだったのにも
関わらず、ちゃんと座って帰ってこれました。
最近お財布の中もピンチになりそうな時に、何気なく臨時収入が
入ってきているようでもあります。
だんだん確信めいたものを持ち始めているので、最近では、汚れた
トイレを見ると、「よおおし!」と奮起することすらあります。

発表会から話はずれてしまいましたが、
もちろん、発表会がよかったのは皆さんの努力の賜物です。
すべてが終わった夜、「やってよかった」と二人で話し合いました。
いつ「アセンションへの旅」を舞台に乗せることができるか
分かりませんが、少なくとも今回の試みで、その礎を築けた気がします。
みなさん、ありがとう。お疲れ様でした。
それぞれ、課題はあるかと思いますが、こつこつ歩んで行きましょう。

11月15日(木)
なんだか、いろいろな種類の仕事のような用事のような、単なる
頼まれごとのようなものでアップアップしている毎日です。

ワークショップはなんとか順調に行ってるもよう。
配役や台詞割の調整も終えて、立ち稽古に入っています。
22人の参加者全員が、舞台に出ずっぱりの演出で、椅子で異空間を
作っているわけです。
これなら、稽古場があちこち変わっても、場所と椅子と生身の役者だけ
いれば、どこでも練習できて、しかも見えてくる空間が、日常も非日常も
キャップしてしまうからすごい!
少々経験が足りなくても足りないなりに、役として立てるところも長所です。
上杉は、だんだん出来てくる空間の厚みに、期待以上の成果が見えて来て
面白がっているようです。

まず演出家を面白がらせる、ということは大切ですよね。
個人ででも、集団ででも。
役者として立つときは、しかし、過去にも何回もそれを言われたし、今でも
頭に置きながらやるのですが、なかなか最初からうまくはいきません。
でも、演出の立場に立って全体を見ると、今まで演出家に言われたことが
よく分かるのです。

最近、娘の通う小学校の学芸会の練習で、指導のヘルプを頼まれました。
最初見た時は、混乱のきわみ、阿鼻叫喚の只中、と言ったところで、
これが形になるのだろうかと思ったものですが、先生方の努力がすさまじく、
1週間たって行ったら、一応順番どおりにしゃべっていました。
そこで、先生方と協力して、少しずつアドバイスしながらやらせると、
子供ってちゃんと分かるんだなあと感心しましたが、できてくるんですね。
最初、「なんでこんなことやらなくちゃいけないの?」的な態度だった子も、
いつの間にか目をキラキラさせて、口元に笑みを浮かべながら台詞を
言ったりするんですね。
どこか一部分が流れ出してくると、またお互いのパワーを受けたり、
感じたりすることの得意な子供たちは、それにひっぱられてよくなっていく。
たったの3日くらいで、見違えるほどよくなって感心しました。

それにしても、私はただの一介の役者風情なのに、演出などを頼まれて、
もちろん最初から手がけたわけではないので、アドバイス程度の働きで
すが、こんな小学校の学芸会のようなものでも、経験がなければ
なんのアドバイスもできないものです。
私は、幸い、トレランスのワークショップを何度も見させていただき、
子供のワークショップなども経験したので、少しは「見る」力がついていたのか、
曲がりなりにも、導いてあげることができました。
娘の小学校入学に間に合ってよかったです。

そんなこんなの経験が、すべて私の力になっているのを感じます。
人の演技を客観的に見ることができるということは、自分の演技もそう
できるようになるということでしょう。
別に演出家になるつもりはさらさらありませんが、人の助けになることを
言ってあげられるというのは、こちらにとっても幸せなものです。

さあ、次々と行事や仕事が迫ってきています。
まずはワークショップの成功に向けて。
学芸会の成功を祈りつつ、初の京都・時代劇を乗り切り、ラジオ・ドラマの
練習と、子供ワークの劇とダンス!!
そうこうしているうちに、暮れが押し迫り、2月の舞台の台詞を入れなくては
ならなくなり…うーん。風邪だけはひかないように、がんばります。

11月5日(月)
朝晩の冷え込みが晩秋に向かっていることを感じさせます。
ここ数日で、結露も登場してきました。
きのうなどは、思いがけず暖かくて、おまけをもらった気分です。
いわゆる小春日和っていうんでしょうか。
だいぶ前に、イギリス人の演出家と演技コーチが作品を作るために
滞在していたとき、「日本の11月はラブリー!Tシャツ1枚で歩ける
なんて!!」と感動していたことがありましたが、
きっと、その年の秋も暖かくて過ごしやすかったのでしょうね。
今年もなかなかいい感じです。
太陽の気分で、こんなに人間の気持ちが変わるんですから、
陽射しって大事だなとつくづく思います。

その太陽が、フォトンベルトに入る!
そして地球の地軸が変わり、波動が変わって、天変地異が起こり、
大災害があり、人口が激減…。
そうなったとき、私たちはどうなるんでしょうか。
そんな本を今、ひたすらワークショップで練習しています。

ざざざーと読むと、まるで荒唐無稽な話に聞こえますが、
根本的に扱っているのは、私たちの「人間としての」生き方です。

難しい言い回しや、説明台詞にみんなてんてこまいですが、
発表の日までもう数日しかありません。
「何とかくいつきたい」という気迫がむんむんの稽古場で、
ぜひ発表の日まで、緊張を持ち続けてほしいと思います。

10月23日(火)
きのうから、ワークショップが始まりました。
今回は出られる回数を満たしている方のみ、ご参加いただいて
いるので、少人数でこじんまり?とイメージしていましたが、
人数もそこそこだし、一人一人のやる気が前面に出ているので、
そんな気がしませんでした。
案内文に「一つの作品を作り上げていく中で、演技をみっちり
勉強します」とうたったので、それに反応してくれているのかも
しれません。
”演技をみっちり”…今でも私だって食指が動きますもの。

さて、今回の教材は「アセンションへの旅(上杉祥三書下ろし)です。
70ページもあるものです。普通にやったら、3時間半かかるという
代物で、おまけに(例にもれず?)難しい台詞が多い…。
いや、というより、話というか、世界自体が難しい。
こちら方面に興味のない人には受け入れられにくいかもしれません。
でも、上杉本人に言わせると「世界の真実」なのだそうです。
なかなか噛み応えがあります。

きのうは、みんなで読んでみました。
男女関係なく、順番で。
前準備なく、みなさん一概に初見なので、格闘されている
感じでした。にもかかわらず、しっかり読めていたと思います。
さあ、これをどう料理しましょう、といったところですね。

これからがっつり四つに組んで格闘していきましょう。
とにかく、読み込んで頭を柔らかく、体を鍛えて柔軟に。
そして新しい出会いに感謝。

10月17日(水)
きのう、東京はぐっと気温が下がり、急に肌寒く感じられました。
早起きの私は、日も出ていないうちから、部屋でストレッチや呼吸法に
いそしんでいますが、床にすーっと冷気が漂うようになったのには
秋が深まったことを感じずにはいられません。
おかしなもんですね。
つい2ヶ月ほど前は、起きると汗だくで、5時でも6時でも、
瞑想に集中できないほど暑かったのに。
同じ部屋でも、こうも違ってくるのか、と、
来るべき冬におののいてます。

先週、久しぶりで観劇しました。
「ええええ、里美さんが芝居を観た!?」と知り合いの女の子に
驚かれてしまいました。
それを聞いて、私も驚いてしまいました。
私って、そんなに人の芝居を観ない人だと思われてたの?と。
それじゃあ、友達も失くすし、自分の芝居も観に来て
もらえないわよねえ、と合点がいってしまいました。とほほ。

でもねえ、行きにくいんですよ、ほんと。
私だって、38歳まで、芝居がはねちゃあ夜な夜な飲み屋に繰り出し
友人の公演を観に行っちゃあ誘ったり誘われたりして、
しょっちゅうお付き合いをしていたものです。
だから、その生活が時々恋しくて「あああ」となることもありますけど、
逆に言えば、38歳まで浸ったのだから、もういいかなとも思うのです。
いや、いや、誤解がありますが、これは飲みに行く話。
観劇は…、した方がいいに決まっているのですが、
夜が使えないのであります。土日もしかり。
学校に行くようになって、もっとそうなってしまいました。
だから、先日も平日昼公演を観に行ったのであります。
世間の公演がもっと、平日昼を増やしてくれたらいいのに。
(ああ、これではほんとに主婦のなげきですね)

けれど、本屋でちらりと立ち読みした、ある雑誌の高畑淳子さんの
インタビューに救われました。
彼女の場合、ご主人不在ということもありますが、仕事以外は
どうしても、夜出かけられないと。
親は家に「いる」ということが重要だと思うから、と。
ほかにも、ある女優さんで、高校生の息子さんがチェックが厳しいので
夜出かけられないという話を聞いたことがあります。
まあ、とにかく、まったく条件が一緒の家庭はないわけですから、
どこかで自分のケースは自分のケースと割り切らなくては
いけないのですが。

そうそう、遅れましたが、先日観てきたのは、春、鴻上さんの公演で
ご一緒した菅原大吉さんがご夫婦でやってらっしゃる「夫婦印」という
プロデュースの夫婦二人芝居です。
夫婦二人芝居と言えば!
私たちもやりましたねえ。2年ほど前、トップスで。「嘘と真実」を。
面白かったですねええ。
って、また話が自分の方へ行きましたが(しかも自画自賛(^◇^;) )
菅原さんたちの「満月」も面白かったです。
お二人ならではのキャラクター設定でした。
たとえば、私たちはあの役はできないな、と思って観ていました。
お二人とも体を使って、汗かいて、客席を沸かせていました。
これから、宮城や北海道の地方公演に行かれるそうです。

二人芝居ってなかなかいいもんですね。
もちろん、やる方は大変ですが。
ところで、「嘘と真実」について言えば、来年別の形で皆さんの前に
登場することになりそうです。
ちゃんと決まったらお知らせしますね。お楽しみに!

10月11日(木)
金木犀がたまらない芳香を漂わせています。
今年の金木犀の香りは、なんだかいつもと少し違うよう。
私はその些細な違いを嗅ぎ分けられるほど、鼻が発達しているわけ
ではないのですが、植物ですもの。きっと、その夏の日照時間やら
暑さなどが関係して、毎年毎年少しずつ状態の違った花をつけるのでは
ないでしょうか。

鼻が利く、という話から、目が利くということを思い出しました。
人間はどこか一部分の機能が不自由だと、ほかが発達するものですが、
耳の聞こえない人、聞こえにくい人は視力も視野も高機能なのでしょう。
実は来年2月「ちいさき神のつくりし子ら」に出演しますが、
先日、実際の聾唖である主役の女性に会ってきました。
ただ顔を会わせただけなのですが、来年早々からまた触れたことの
ない世界に一時、行ってくることになりそうです。
新しい出会いにわくわくします。

さてさて、こちらも新しい出会い。
ワークショップの情報を載せました。
昨年・今年春とかなり基礎的はワークをさせていただいたので、
今回は趣向を変えて、一作品をとことん練習してみようと思います。
ですから最終日には発表をします。
教材には、上杉祥三が書き下ろした「アセンションの旅」を使います。
これは今のところ、舞台用の形式にはなっていないのですが、
参加してくれた皆さんと練習しながら、台詞を変えたり、動きを作ったり
フォーメーションを作ってみたりして、近い将来舞台に乗せるべく、
形作っていこうと思っています。
演技の実践に重点を置いたワークです。興味のある方、どうぞ
参加してください。

秋ですねえ。
食べ物がバクバクお腹に入ってしまいますねえ。
呼吸法を続けると、お腹もすかなくなるらしいですが、私はまだまだ
未熟なんでしょうか。油断すると、危ないことになりそうです。
では、みなさんも秋の爽やかな毎日を満喫されますよう。

9月26日(水)
さぼってばかりですみませええん。
あら、私、何してたんだろう?と思いながらも、
思い出せない日がいっぱい。
きのうのできごと、おとといの夕飯、先週やったこと、どれもがまったく
自分の頭の中で空白になってるって、考えてみれば恐ろしいことじゃ
ありませんか。
以前は、そんなこと絶対なかったんですけどねえ。
自分が感じているだけじゃなく、本当に誰にとっても「時間」の進み方が
以前よりも早くなっているのなら、気分的には少し救われるのですが。
でもそれが事実だとしたら、どうなるのでしょう。
人類はどこへ行ってしまうのでしょう。

話が大きくなりましたが、日々頭にあるのはやはり、目先のこと。
なかでも、子供の人間関係やら勉強のことやら、自分で手を出せない
分野のことが、この大雑把な脳を駆け巡っています。

最近つくづく思いました。
私って、本当に大雑把だな、と。
大体分かったところで行動するから、ミスが多いんだな、と。
なお悪いのは、人間関係でもやってしまうことなんですよね。
どうして分かったかと言うと、きっかけは、我が子の性格と自分を比べ、
引っ込み思案は同じだけど、その質が違うなあと思ったこと。

私も臆してはいるのですが、ある程度まで来ると開き直って、
「もういいや」になり、その後は「誰かを(何かを)気にする」ことを
やめてしまうところがあります。
めんどうくさくなってしまうのか、「私は私でいいじゃない」と
思うが早いか、いっさい人の思惑や意識を排除してしまうんです。
いつからこんな処世術を身につけたのか、これは幼い時には便利
でしたが、いい加減使わない方がいいのでは、と思い始めました。
むしろ、とことん気にしてみたらどうなんだろう、と。
だって、切り捨ててしまうと、それはそれで楽なんです。
でも、実はそこにこだわらなきゃいけないもの、特に人との間では、
相手の微妙な気持ちがあるに違いないのです。
この「もういいや」のために、失敗したことも度々ありました。
大人になってからは、気をつけるようにはしていたのですが、
もっともっと気にした方がいいのだ、と最近悟ったのです。

人生に「遅すぎる」ことはない、と信じて性格改善していきましょう。

さて、子供の学校で学芸会があるそうで、先日先生にプロとしての
助言を求められました。
「声が出ない子がいるんですが、どうしたら出せるようになるんでしょう?」
永遠の課題ですね。
役者だけじゃない、まして大人だけじゃない、この問題で悩むのは、
子供の時代から始まっているんですね。

以前、「ワーキングママ」の方で、大人が子供に還るためのゲームは
子供には不必要だった、と書いたような覚えがありますが、
ワークショップの子供たちの年齢が1年ずつ繰り上がっただけで、
ゲームが必要なシーンが増えてきたのを実感しているのです。
学校に上がると急に、自意識が強くなり、「できる」「できない」をすごく
意識し始めるせいでしょう。
年齢的に自意識が発達するのに加え、現代の教育の問題ももちろん、
あるとは思いますが、それはここでは置いといて。

低学年は何にでも積極的な反面、「恥ずかしい」気持ちも人一倍強いらしく、
高学年になると、今度は一生懸命歌うことや、大きな声で表現するのは
「かっこ悪い」「めんどくさい」ことに感じられるそうです。

しかし、人間って本当に生まれてすぐから人間なんですね。
子育ての経験をしてみると、最初から人は人との間でもまれたり、
つまづいたりして生きていくもんなんだ、と考えさせられます。
子供だって、赤ちゃんの頃から対人関係で気を遣うんですよね。
「のびのび」とか「屈託のない」とかの言葉を使えるのは、いったい
いつ?または、どこで?あるいは何割の子が?と言いたくなってしまいます。

ともあれ、声の出なくなってきたお子さんたちにどう対処するか、
目下考え中の私。
せめて私のワークショップでは「のびのび」やって、「屈託のない」笑顔を
見せてもらいたいものだと思っているのですが。

9月10日(月)
台風が去ったかと思えば、急な激しい雨。
これで、どこぞやの水不足も一気に解消ですね。

それにしても、まだまだ蒸し暑い日が続きます。
空や風のにおいには、すっかり秋を感じるのですが。
こういうとき、サトウハチローさんの「ちいさい秋みつけた」を
思い出してしまいます。
娘の「日本語」という教科書にサトウハチローさんの詩が
立て続けに載っていました。
「入道雲むくむく」と「ちいさい秋みつけた」です。
夏と秋の詩ですね。
味わって読んでみると、どちらもすごい。
むずかしい言葉は何一つないのに、ぴったりな感覚です。
あらためてサトウハチローさんの凄さを感じさせられます。
彼の手にかかると、こういう詩があっという間にたぐりよせられて
できたのだそうです。

日本語っていいなあと感じる瞬間です。

さて、先週の土曜日は、私の中学校の同窓会がありました。
学年全員に声をかけてくれて、350人中105人が集まりました。
皆のこと、覚えているかしら?覚えてもらっているかしら?と
ドキドキしながら会場に向かいました。
仕事を片付けてから行ったので、少し遅れ気味に到着すると、
お台場のホテルのバーの入り口から、すでに「おー」とも「ぎゃー」とも
つかない歓声が。
再会って面白いですね。
会場に着いた途端に、見覚えのある顔が次々に飛び込んできて、
私こそがいちいち「ぎゃー」と叫んでしまいました。
だって30年ぶりに会う人もいるんです(あ、年が…)。
その30年間、ほとんど記憶の底に眠っていた顔と名前が一致した
時の驚きは、自分でも初体験のようでした。
一瞬にして、あの頃に帰る。嬉しかったですねえ。

先生方にも久しぶりに会うことができて感激です。
中でも、新入生の時の先生は、そのとき新任だったので、
子供ながらに初体験に当惑されながら勤めてらっしゃる印象があり、
そういう意味でもとても親近感のあった先生なので、30年たっても
親しくお話ができて、これも嬉しかったです。
そして、生意気になってきた2年生の時の先生が、凛とした厳しい
女の先生で、今はもう70歳を越えているのに全然そんなふうに見えない、
相変わらず健康美で輝いてらっしゃる方でした。
その先生に最後に腕をひかれて
「あなたと話したかったのよ」と言われ、何かと思えば
「あなたの夏休みの宿題の、教室に張り切れないくらいのばか長い
年表が忘れられない。」と言われてびっくりしました。
そんなこと、これっぽっちも覚えてなかったんです。
私の方からは、この押してもひいても動じないような、しっかり者の
先生にどうたて突いてやろうかと思っていた、という思い出ばかり
なのですが、しょせん優等生ですから、いい子に見えるように
ふるまっていたらしく、
「ほんとにかわいい生徒だった。」とまで
誉められちゃいました(汗) 。

ただの自慢になるから、あまり書かないでおこうとは思いますが、
先ほどの先生にも「おまえの作った歌、まだ覚えているよ」と
言われてびっくりし(夏休みの宿題に相当チカラを入れてたんですか
ね!?私は)、また、ほかの男子生徒(だった人)から
「長野さんの、入学式のときの新入生代表の誓いの言葉、
覚えてるよ」なんて言われて、もっとびっくり。
だって、そんなことをやったことすら忘れていたのですから。
(中学生の時が私の人生のピーク!?って感じもしますけど)

自分がすっかり忘れていた自分の行動を、ほかの人がほかの
場所で覚えていてくれてるなんて、なんだか理解できないことです。
たぶん、そうなってる時点で、それは「私の」行為じゃなくなって
いるんですね。
きっと私にもそういうことがあるに違いありません。
あの時誰かに言われたこと、憧れていた人、感動したできごと、
その本人が忘れていても、自分の中の思い出として生き続けている
ものは少なくないかもしれません。
願わくば、私の印象もいいことだけならいいのですけど…。
(うーん、かなり自信なし)

それから、残念なことに、会いたくても会えない人もいました。
海外に行ってたり、仕事で活躍しているのなら、また次の機会も
あるでしょうが、お亡くなりになった人、行方不明の人、心身の
病気にかかっている人…。
会って一言謝りたい人もいます。抱きつきたい人もいます。
会いたくて会えない人のことを考えはじめると、
いながらにして望郷の念に駆られてしまいます。

それにしても、素敵なひとときでした。
屈託なく、「長野さん!」と声をかけて手を握ってくれた人、
「サトミ〜、テレビ見たよ!」と肩を叩いてくれた人、
みんなにありがとう。
中学生の時のあの素晴らしい日々にありがとう。
今度みんなに会う時までに、もっともっと私も自分を磨いて
応援してもらえるように頑張ります。
また会おうね!

8月29日(水)
東京の猛暑もひと段落。
早朝、窓を開けていてひんやりとし、思わず閉めてしまうなんて、
何日ぶりでしょう。
体も一息ついている気がします。

皆さんは、夏バテや夏風邪にかかっていませんか?
私は猛暑が始まったばかりの頃、鼻水を出していたり、
母がお盆に作ってくれたおはぎを、うちに持って帰る途中、
車のエアコンの操作を誤り、ただの送風の状態で、座席に思い切り
陽が当たり、おはぎをいたませてしまって、知らずに食べて
ひどい目に会いました。が、今はとても元気!

また一つ年を取ってしまいました…。
今年はその誕生日の日に、食あたり事件があったものですから、
家族で焼肉パーティーがふいになり、なぜかその後も「やり直し」も
なく、今まで来てしまっています。
ま、いいか。

今年の夏は悲しい出来事がひとつ。
劇団民芸の南風洋子さんが亡くなってしまいました。
5年前、コクーンのプロデュース公演でご一緒し、その後も
トレランスを観に来てくださったり、こちらが南風さんの舞台を
拝見したりで、年に数回の割合でしたが、いい感じで
お付き合いさせてもらっていました。

が、春にご病気が発覚されたことも知らないまま、のんきに
「この子たちの夏」に行きたいなあ、でも今回はまだご案内の
お電話がないなあ、などと思っていたのです。
後で知ったら、毎年出演されていたその朗読劇は降板されていた
そうで、その前の6月の公演の稽古時に癌であることが
分かったということでした。

私は、この夏40度以上にもなって日本記録を更新した熊谷の
近くで撮影があり、制作さんの車でお迎えしてもらっている最中に
ラジオのニュースで悲報を知ったのです。
もう寝耳に水、天地がひっくり返るほどびっくりして、思わず
「ええええええええ」と声をあげてしまいました。

だって、今年の春までいつもとお変わりなく、ものすごくお元気
だったんです。お会いしてはいませんが、夫の舞台を観にいらして
電話でしゃべったのだと、夫もびっくり仰天でした。

夫とも朝ドラで共演なさって、同じ関西出身やら何やらで、二人は
すっかり意気投合して、息子のようにかわいがってくださいました。
そして私は、出会ったときから、南風さんの70歳を過ぎてもぴんと
張った背筋や、お客様をものすごく大切にする態度や、舞台に対する
情熱を目の当たりにして、女優としての生き方を勉強させて
いただいたものです。
その頃、1歳だった娘を育てながら舞台に立っていた私に、
子育てと仕事との両立について、ご自分の経験談を話してくださり、
励ましてくださいました。

19歳から学生劇団に参加して、女優の先輩らしい先輩を持たずに
やってきた私にとって、初めてあらゆることを教えて下さった貴重な
方でした。
いつも女優らしいお洋服に素敵な帽子や靴を合わせ、
楽屋もきちんとされていたお姿に、まさに「女優」の誇りを見て
敬服していました。

「今度3人で飲もうよ!」と言ってくださっていたのに、いつでもできる
ような気がして、即行動に移さなかったことが悔やまれます。
せめてお通夜や告別式に駆けつけたかったのに、そんな時に限って
子供が熱を出して、それも叶いませんでした。
ほかの皆さんと一緒に南風さんの死を確認して悼む作業がどうしても
必要だったのに、うちでお線香をあげるほかなくて、だから
いつまでたっても、亡くなったことがしっくり来てない感じです。
私の中では、きっと永遠に
「どこかに生きてらっしゃるけど、長いことお会いしてない方」
になるのでしょう。
それはそれで、いいのかも知れません。
南風さん自身、病院のベッドでは最後まで次の仕事のことをお考えに
なっていたそうで、「さよなら」も「ありがとう」もなかったそうです。
壮絶な苦しみと闘いながら、楽屋と舞台を行き来したという報告に
「死ぬまで舞台」という、またまた女優の鏡を見せ付けられました。
あっぱれです。

それにしても、
人との出会いは、不思議な縁でつながれているものですね。
南風さんと出会ったとき、彼女の付き人をやっていたNちゃんとは
その後、うちの子供の面倒を見てもらったりして、行き来があり、
今度のことも彼女から詳細を伝えてもらいましたが、
「里美さんのことだから、なんとしてでもお通夜に駆けつけたかった
でしょうけど、おかあちゃま(民芸の方はみなさん、こう呼ばれるそう
です)は、全部分かっているから大丈夫」とメールをくれたとき、
どんなにありがたかったことか。
私も、いつか後進の方たちにそんな風に呼ばれて慕われたり、
理解し、理解される関係を持ちたいと思いました。


何もできませんでしたが、
せめて私からの追悼で、ここに書かせて頂きました。
この場をお借りしてご冥福をお祈りいたします。

8月8日(水)
暑中見舞いを書こう、書こうと思っているうちに、立秋を迎えて
しまいました。
「秋」なんて、まだどこにも存在してないように思える、最近の
この暑さですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
ほーんと、毎日暑いですよね。

昔は、暑い日には朝と夕方だけ活動して、昼間は昼寝したり
屋内で静かに過ごして、暑さをやり過ごしたものです。
でも、最近は昔より気温は上がっているのに、どこに行っても
エアコンがあるせいか、しじゅう関係なく動いてしまいますよね。
それがいけないのかもしれません。
アスファルトも溶けるような、じっとり静まり返った午後2時頃の
住宅地で、自転車など走らせない方がいいですね。
まさにとろけてしまいそうです。
それ程陽射しが強くて、太陽の圧力が上からのしかかるようです。

そのせいなのか、どうなのか、
毎朝実践している太陽呼吸法も、太陽をイメージしたとたん、
暑くて暑くて集中力に欠けまくりです。
まあ、イメージの問題よりも、エアコンのない部屋で行わざるを
得ない状況が災いしてるのかもしれませんが(^◇^;)

呼吸法で何らかのひらめきがあっても、時間がたつうちに
暑さに負けてきて、「明日でいいや〜」になりがち。
いやいや、私は寒さには弱くても、暑さには強いはずではなかった
のか。…なかったようです。
夜寝苦しいためにエアコンを使って、風邪をひいてしまうし、
何となくいつも頭がすっきり冴えない感じです。

皆さんも、ぜひぜひ体には気をつけてくださいね。
体調を悪くして、それを治そうとして費やす時間はほんとに、
無駄のような気がします。
それなら、予防に時間を割いた方が賢いですよね。
たっぷり寝て、おいしいものを食べて、元気に夏を乗り切りましょう。
ああ、ビールが飲みたいっ!!(実は、夫が禁酒中なので一人で
飲むことが後ろめたい日々…。娘も監視しているし…)

7月26日(木)
わお!東京はやっと梅雨明けのもよう。
いきなり真夏の陽射しです。

きのう、千葉の海に行きました。
千葉ロッテマリンズの球場の近くの、稲毛海浜公園というところに
初めて行ってみたのですが、予想に反して人が少ない…。
この海浜公園にはプールや植物園もあって、千葉市が経営している
公共の施設らしいのですが、駐車場に車を止めると、
浮き輪を持って移動している家族は、ぞくぞくとプールの方へ。
なるほど、プールでは日替わりのイベントもあり、スリリングな
滑り台もありで、とてもにぎやかにやっています。
それに比べて海の方は、小さな更衣室に水だけのシャワー、
海の家もなく、簡易な売店しかない浜は、ほんとに人気がなさそう。
でも、私たちは構わず泳ぎ始めました。

まあ、海水がきれいでないのは、今や日本中どこへ行っても
同じではなかろうかということで大目に見るとして、
膝までの深さに行くと、砂利もなくて、足にあたる砂が心地よかったし、
湾なので波も穏やかで、比較的泳ぎやすい場所でした。
何よりも、東京都心から1時間以内で行けるところがいいですよね。
なのに、この人気のなさ。

みんな自然離れしちゃっているんだなあと思いました。
どうしてもわかめが浮いてたり、
海草ならまだしも、ゴミが浮いていたり、もぐっても前が見えないような
海には入りたくないのかもしれません。
それよりも人口のきれいなもの、きれいな水やきれいな施設、便利な
使い勝手に惹かれてしまうんですよね。
私もつい30代まではそうでしたが、ディズニーランドのようなものが
異常に好きでした。本物の沼やボートだったら危険も伴うし、楽しい
ばかりではないでしょうけど、「嘘」だと分かっているからいいって
ところ、ありますよね。
そして、清潔さ。虫もいない、泥がついていない、抗菌状態。
その見た目にきれいな水を保つために、どれだけ塩素を使っているか
考えもしないで。

きのう、海に入って実感しましたが、自然は素晴らしいです。
波が起こるのも一定ではない、その大きさもばらばらだし、場所も
予測できない。風によって運ばれた水が浜について、砂利を洗い、
そしてまた返って行く。
ここでいろいろなものが浄化され、人間の心身も洗われるような気が
しました。

でも、海は怒っているんでしょう。
海も地球も、人間に対して。
人間も海に寄り付かなくなったけれど、海も怒っている。
どうしてもそんな気がしてなりませんでした。

7月11日(水)
前回は「夢中になっていること」の一つとして、バレエのことを
書きました。
でも、こうして字に書いてみると、バレエって「え?あのひらひらな
衣裳を着て、回転したりするバレエ?って感じですよね。
そうなんですけど、トゥシューズは履いてないんですよ。
つまり、ダンスの基礎を習っているだけに過ぎないのです。
それでも、こんなに夢中になってるってことは、先生のおっしゃるように
奥が深いんですね、バレエって。

ちなみに、前回書いた後、勇んでレッスンに行ったら、その日は
気負い過ぎていたらしく、上滑りに終わったばかりか、振りを
すぐに覚えられなくてまごまごしていたら、お叱りが飛んでしまいました。
「遅い!支度が遅い!いつも、娘さんに『早くしなさい!』って言って
るんじゃないの!?」ですって。
参りました。
先生は最近、教え子の心身状態を見抜けるようになったとおっしゃって
ますが、まさに見抜かれました。はい。
その朝、めちゃくちゃ「早く」を連発し、さすがに反省していたところだった
のです。

さて、もう一つ「夢中になっていること」、それは呼吸法です。
私って、体に関してなみなみならぬ関心があるんだなあと思いますが、
呼吸法は、実は声を出すためのものでなく、視力回復のために
新たに始めたものです。

先月のワークショップで少し、この呼吸法を紹介させていただきましたが、
終わった後の飲み会で、「よかった」と大反響がありました。
原久子さんという方が開発された、「太陽呼吸法」をはじめとする、
「感謝の呼吸法」「満月呼吸法」「希望実現呼吸法」などです。

この「太陽呼吸法」というのが、よいんです。
原先生も、まずこれが基本、とおっしゃっていますが、一日30回くらい
やると、太陽のプラスのエネルギーが体に満ちてきて、3週間も
すると、マイナス志向がプラスになったりするそうです。

彼女の本も数冊読みましたが、これを編み出すまでにヨガを教えてたり、
鍼灸をやっていたり、さまざまなアプローチから呼吸を研究された
そうです。
ご自身も体が弱く、アトピーや近眼に悩まされて、それを回復しようと
したのがきっかけとかで、今では、すっかり健康、視力も0.01だったのが
1.0にまで回復したそうです。

セミナーにも2度ほど参加してみました。
本を読んでの独学ではなく、実際に質問できて、これはこれで得るものが
大きいのですが、とにかく呼吸法は実践あるのみ!
毎日100回トライしてます。

でも、最近つくづく思うのは、こういう誰かが書いたハウツウものを読んで
そのとおりにしているだけでは、私の場合、成果を得られないようです。
私も素直なたちですから(?!)、読んで納得すると、すぐにやってみるの
ですが、すんなり効果が出たものはないと言っていいでしょう。
著者だって、紆余曲折し、さんざんトライにトライを重ね、その本を書いた
のです。
その人が苦労の末得たものが即、万人の体に有効かどうかは分かり
ませんよね。

なので、私も頭を使うようになりました。
うのみにするだけでなく、いろいろやってみる。
一つの方法だけでなく、ほかの方法を組み合わせてみる。
ということで、日々自分の体と向き合っている毎日です。

7月3日(火)
下を向いて暮らしているうちに、夏がそこまでやってきていた、という感じです。
別に落ち込んでたわけではないのですが、何となく自分がどこにいるのか
分からないような日々でした。
7月になって、ちょっと時間ができたら、あれもできるこれもできると思っていた
のに、なんだか次から次へと用事ができて、うかうかしていると夏もすぐに
終わってしまいそうな。

ですが、この夏はどうしてもかじりつきたいことがあります。
一つ目はバレエ。
うちの娘も夏の発表会に向けて、分かりやすくやる気を出しているように、
バレエ研究所全体が活気を帯びていることもありますが、
私は個人的にやっと落ち着いてバレエに向き合う時間が取れて喜んでいる
という状況です。
公演でダンスを踊っていた頃は、振り付けをされたら、ほんの1,2回で
覚えたものでした。でも、その習慣がなくなって、踊りそのものから遠ざかって
いた時間も長かったので、2年前に再び公演で踊ることになった時は、
振りがなかなか入らなくて苦労しました。
それでも、人前で踊る責任があるので、何とか本番までには間に合わせる
のですが、こうやってただ趣味で踊っているときは、ともすると「ゆっくり
覚えればいいや」になりがち。
誰にも責められませんしね。
でも、そこが落とし穴なのです。
誰にも責められなくても、自分で自分を戒めなければ、振りなんていつまでも
入らないし、1,2回で入らないことを自分に許したら最後、どこまでも
甘えますからね。
私の入っているクラスはマダムが多くて、皆さんお子さんが学校へ行っている
間に稽古に通っているのですが、アマチュアでも自分に厳しい人は、何とか
1,2回で覚えようとしているし、それこそが上達の鍵なのです。

私も、バレエは殆どやったことないから、と最初は甘えていましたが、
そろそろ自分が許せなくなってきました。
ちょうど夏で、体も柔らかくなってきたし、体が忘れていたブリッジの片足上げにも
挑戦しようと思います。
振りも1回で覚えよう!と決心し、昨日レッスンへ臨んだところ、体がすっかり
忘れていたピルエット(回転)の感覚を取り戻し、素早く回ることができました。
すると、先生に「クラスで一番いい!」と誉められたのです。

人間っていくつになっても、認められると嬉しいもの。
そのことを実感した瞬間でした。
でも考えてみれば、若いときジャズダンスで嫌っていうほど回ったもんなあ、
できて当然だよな、と思い直し、謙虚になることができたばかりか、
あの時、これを一生懸命教えてくれたK先生に感謝の気持ちが沸いてきました。
また、同時に「誉める」ということがこんなに人にやる気を起こさせるなら、
大人はもちろん、子供ももっともっと誉めてあげなきゃいけない、と
考え直すきっかけになり、とてもいい体験でした。

@意欲を持って取り組むと、そのことからお返しがある。
A「できる!」と思ってやると、できることがある。
B感謝しながらやると、もっといいことがある。

以上がきのう分かったことであります。
字面にすると、たわいも無い、当たり前のことですけどね。(^◇^;)
また次回!
6月11日(月)
先週金曜日をもって、トレランス・ワークショップが終了しました。
参加してくださった方、ありがとうございました。
たった15回のワークでしたけど、1ヶ月間にわたっていたせいか、
皆さんとたっぷり時間を過ごしたように思います。
全回出席された方もいて、私が言うのもなんですけど、よくやったな、と
感心します。だって、ワークショップってお金を払って勉強するわけですから、
ちょっと気が乗らなければ、休んでしまいたくなるのは無理もないと思うんです。
うちのワークは休んでも何の支障もないし、制約もないし。
ただ、「勉強しよう。よくなろう。」という意欲だけで通ってらしたわけですよね。
(半分意地かもしれませんが)
そのうちの一人の方に聞いてみると、「とにかく楽しかった」とのこと。そして
最初に私が皆さんに向けて言った言葉で感動してくれたそうです。
「受け入れる」と。
そう、いつの頃からか、私は若い人がもがいているのを知っていながら、テスト
したり緊張させたりするようなワークは耐えられなくなったんです。
できないものはできないし、できないから参加して勉強しようとしているのに、
わざわざ難しいことをやったり、厳しい言葉を投げかけたりしても意味はないな、と。
(自分自身がそれで苦しんだから、余計かもしれませんが(^◇^;) )

それよりも、演技者の先輩として、一緒に考え、導いてあげるのが私にできる
最善のことなのではないかと思い始めました。
それで、「間違ってもオーディションだと思って、アピールしないでください。
誰でも何かしらいいところは持ってるはず。とにかくリラックスして楽しんでいれば、
それが出てくるにちがいないのだから、内面を充実させようと思って、安心して
ここに来てください。皆さんがどんなでも、私は受け入れます。」と、
最初に伝えました。
終わってみて、ちゃんと皆を受け入れられたのかどうか、自分としては疑問も
残りますけど、こうしてみると、以前より批判的な精神は激減したと思います。
それよりも、秋にやったワークの時より、少しでも進んだ人がいれば嬉しいし、
みんなの前で手放しでほめてあげたくなりますね。

それから、今回はみんなを見ていて、若い時の自分を思い出し、とてもために
なりました。
「ああ、あんな態度では仕事は来ない」と、はたから見ていてよく分かる事例の
多いこと。別に大したことをしているわけではないのですが、ちょっとした表情、
態度を人はよく見ているものなんだな、とこの年になって分かったのです。
(ちょっと遅ーい)。
反対に、いい顔やいい挨拶、周りの人をいい気分にさせる態度というのが、どんな
ものなのかも分かりました。

別に、皆さんの態度がそのまま「よかった」とか「悪かった」とかではなく、これらは
皆さんを見てて、私がトランス状態に入り、自分の過去のできごとを検証していたから、と

言えます。自分が今までにとったいろんな言動を思い出しました。

人のことは分かっても、自分のことはなかなか分からないものです。
自己正当の大家になってたりしますからね。
でも、自分を見つめることが、まず第一歩のような気がします、演技にも人生にも。
そして奢らず、焦らず、自分を甘やかさず、謙虚に生きること。こうしていると、人間にも
神様にも好かれるようですね。
まず、自分を知りましょう。

6月1日(金)
ワークショップもあと4回になりました。
終盤です。
今回は、一つの教材を演じて最終日に発表するという形はとらずに、
より基本に忠実に「演じる」ことを検証しています。
皆さんを見ていると、昔の自分を思い出しますね〜。
そして、どこがいけなかったのか、何ができなかったのか、よく分かります。
私たちの伝えようとしていることが、今20代30代の皆さんにどれだけ
理解してもらえているか分かりませんが、またそれは、体験を得ずしては
結局理解されないものであるのかもしれませんが、とにかく、分かってほしくて
言葉を重ねます。

きのう私は、上杉コーチの言われるままに、海のわかめになっていました。
ゆたゆたと揺れて体中の力を抜く作業をしているとき、ふと「すべては呼吸だ」と
いうことに思い当たったのです。
私は前日、バレエのレッスンに行って、思い切り踊っている最中、肩から背中に
かけたラインを痛めたようなのです。いや、終わってから気づいたので
筋肉痛くらいのものでしょうけど、一晩寝るとひどくなっていました。
腕が上がらないほどではなかったのですが、放っておくとよくないな、という
感じではありました。それが、わかめをやっているとき、「呼吸しながらやれば
痛みがとれる!」と思ったのです。
案の定、15分程動いているうちに、すっきりとれてしまいました。

今、私は原久子さんという方の呼吸セラピーというものに夢中なのですが、
やはり呼吸の力はすごいようです。
体を治す力があります。
塩谷信男さんの方法も実践してみましたが、ちょっと難しくて、どうしても成果を
実感できませんでした。でも、こちらは分かりやすいし、いちいち納得できます。
まあ、それもこれも、私も呼吸について学んだし、実践してきたのが、少しずつ
実を結んでいる証拠かもしれません。

お腹に吸う、お尻を締める、イメージを使う、これで呼吸法はばっちりです。
そろそろ、人間の潜在能力をもっともっと使うべき時ではないでしょうか。

5月22日(火)
素敵な日々を過ごしています。
風薫る5月のW・S。自転車を走らせて稽古場に行き、私もついでに
体を動かし、声を出せるなんて、ほんとについてる!って思います。
まだ演劇を始めて日の浅い方々に「教える」のは、私たちの役目ですが、
そうしながらも、私たちも確実に何かを受け取っているのです。
単純に「若さ」であったり、それから、「どうしたらいいだろう?」と
考えることによって何かに気づいたり。
それにしても、演技の稽古はもちろんのこと、呼吸しかり、ヨガしかり、
何もかもにいたるまで、一人で練習するより大勢いた方が
集中できるんですよね。しかも収穫が大きい。
これは演劇というジャンルの紛れもない一つの特徴ですけど、瞑想や
ストレッチ一つにしても、同様ですよね。
このことを、上杉祥三は「お互いに気を出し合うからだ」と言っています。
ワークショップとは、何かを吸収しに集まるもの。その「何かを得よう」という
気構えや頑張りがそれぞれから出ているので、それがまたフィードバックして
お互いにいい作用を及ぼしているのだ、と。

だとしたら、その「場」の空気を作るのは、ほんとに来ている人
ひとりひとりによりますね。
でも、「気」というのは、必ず暗い方から明るい方へひっぱられ、
つられるものだそうです。
だから、ひとりひとりが明るく機嫌よくその場にいれば、こんなに
いて気持ちのいい空間はないでしょうね。
ほとんど、そうなっているワークだと思います。

ところで、
先週の土曜日、第2回目のキッズ・ワークショップを終えました。
今回は4回こっきりだったので、発表というには少し中途半端では
ありましたけど、ともかく、成果を出そうと、私は必死でした。

でも、子供たちはそんな気、さらさらないんですよね。
レッスンに喜んで集まってくるのは、学校や幼稚園以外のお友達に
会えるからだけの理由じゃないかと勘ぐりたくなるくらい、大喜びで
走り回っています。それもレッスン中。
こんなに元気に先生の言うことを無視してくれるのは、どんな理由がある
のだろうといろいろ考えました。
もともとの仲良しがいること、きょうだいがいること、保育園生が多いこと(?)、
そういう性格の子が多いこと、そして私の子供を扱う能力。
どうも、考えても考えても、どれもあてはまりそうで、それだけとも思えず、
レッスンを終えてから半日考えましたが、最後は自分の指導力不足に
つきるのではと思い、落ち込みました。

すると、タイミングよく一人のお母さんからメールが来て、「先生として
よくやっている。十分じゃない。子供もよく頑張っている。」と励まされ、
気持ちが軽くなりました。
後から、撮ってきたビデオを見ると、確かに子供たちはたどたどしくも、
詩の暗誦も、ダンスもちゃんとやっている。
学校の運動会の練習は毎日だけど、これは週に一度、4回しかなくて、
よくみんなついてきてくれたな、と新しい目で子供を見ることができました。

折りしも、毎日の学校の運動会の練習でも、同じように先生が言うことを
聞かない子供を叱っている場面が見受けられ、「なあんだ。子供を
教えるエキスパートでも、一年生は手に負えないんだ。」と、ますます
気が軽くなりました。
そして、私はそのことよりも、もっとダンスや詩の暗誦や、お芝居の
楽しさを子供に知ってもらうよう腐心しようと、心に決めたのです。
だって私の専門はそっちですから。
何もかもできる先生より、専門のことをよく知っている、命を懸けている、
情熱がある先生でいよう、と。
そのうち、私も子供の扱いがうまくなるだろうと。
私の性格って、ほんとに前向きですよね〜(笑)。

でも、おかげさまで、また第3回キッズ・ワークショップに全員の子供が
「喜んで」参加してくれることになり、またお母様方の応援もあり、
6月から気持ちも新たに再開です。
これを読んで下さって、「どうしようかな〜」と迷ってらっしゃる方が
いたら、どうぞご一報くださいね。後日、詳細を出します。
次は、いよいよお芝居も始めたいと思ってます。
そして、次は、子供さながら、私もまた成長するでしょう(笑)。

5月18日(金)
ワークショップ三昧の日々です。
今日までの数日間はいつもの大人向け、演劇ワークショップ、そして
今日は子供向け。

キッズ・ワークショップにも、私自身だいぶ慣れて参りました。
相変わらず、子供たちは騒ぎまくり、動きまくりではありますが…。

面白いのは、大人を相手に、「子供に還る」目的で、よくゲームを
用いるのですが、一番初めに子供に対した時、ゲームというのは
子供には必要ないんだ、と分かって封印しておりましたが、
時には必要なお子さんもいるんですね。
「うまくやりたい、でも恥ずかしい」という気持ちは、わずか6歳でも
自分を解放から遠のかせ、縛ってしまうものなのです。
人間は、生まれたときから、人の目を気にし、人の評価が大切なのだと
思い知らされました。
でも、こちらとしては、そういうお子さんほど、どう変わっていくのかが
楽しみでもあります。
周囲の働きかけ、または言葉やリズムや動きが、彼や彼女にどんな
影響を及ぼすのかを知るのは、私にとってもとても興味深いところです。

さてさて、大人の方はと言いますと、
一言で言って「みんな楽しそう」。
もちろん、きつい思いをしながら通っている方もいるでしょう。
でも何かにかじりついて無心に頑張れるのは、若いうちに、
そう何度もあることではないかもしれません。
もし、今回のワークで、「何かを得られそうだ!」と感じたら、とことん
頑張ってみてほしいと思います。
私も、皆さんのそういう姿に刺激され、学ぼうとしている毎日です。

なんだか、道端や街角で子供が泣いていることが多いような気がする
この頃。
幼いながらも、5月病でしょうかねえ…。
私たちも、気温の変化に左右されず、のほほんと行きたいものですね!

5月9日(水)
5月病というのは、精神的なものだけではないんですね。
何かのチラシで、中国では昔から5月は「体調を崩す月」とされている
というのを読みました。
春は、花粉症やら季節の変わり目やらで、何かと調子が悪い人が
多いものですが、5月こそあなどれないのかもしれません。
うちの娘も、わけもわからず高熱を出していました。
治りかけで病院に行ったら、その薬が合わなかったのか、
またひどいことになってました。
やっと一息つくと、知人から「5月の声を聞いたとたん、体調を
崩し…」などのメール。そして前述のチラシなど、
同じような情報がたたみかけて来ているのであります。

何ででしょうねえ?この5月というのは。
気温が急に上昇したり、若葉がどっと育つのに、人間はついていけない
のでしょうか?
みなさんもくれぐれもお気をつけて。

さ!
今日からワークショップが始まります。
お互いに、いっぱい、いろんなことを学んで行きましょう!

5月2日(水)
あわただしい4月が過ぎたかと思うと、またも小走りで過ぎて行きそうな
5月がやってきました。

先日、「しあわせ」「楽しい」「うれしい」と言い続けるとどうなるか報告しますと
書いたのが気になっていました。
実は書きながらも、こんな約束しちゃって守れるのかなと不安でした。
案の定、一週間の間、それほど連呼できたわけではないのですが、
(でも「ありがとう」は随分言ったかな)
一週間前より自分の心が明るくなった気がします。
なんだか自信がなくなって、どよんとしていた心が戻りました。

白状しちゃいますけど、私が自信がなくなるのって、今までの人生で
数えるほどしかないんです。
もちろん、苦手なことはいっぱいありますよ。
容姿・能力全般も、「自分がいい」と思っているわけでもありませんし。
稽古不足だと分かってるときは、舞台に立つときも自信はなかなか出ません。
その他、数々のミステイク、対人関係、失敗もいっぱいあります。
でも、そう分かっている「自信」ではなく、なんていうか漠然とした「自信」と
言うか…。
これを、私は「根拠のない自信」と呼んでいますが、なんだかいつも自分は
「大丈夫」と思ってきたのです。

実際、さしたる大事故や大怪我もなく、大病もせず生きてこれたし、
人並みの生活は送れているので、「大丈夫」だったんでしょう。
そしてこの「根拠のない自信」の中には、未来に対する展望も含まれていて、
なぜか理由もなく「この先も大丈夫」と確信していたのです。

これってすごくいいことのようですが、反面「つめが甘い」ということにも
なりかねませんよね。
まあ、私はこの特性を「つめが甘い」方に思い切り傾けて使ってきたと
言えなくもなさそうです。

で、ここ2週間ばかり、さしたる理由もなく、この「自信」ががらがらと
崩れていたんですね。暗澹たる日々が続いていました。
それで思い切って、ここに宣言しちゃおう!と思ったわけです。
結果は…、効果あり!ってところでしょうか。抜け出すことができました。
お掃除もよかったですよ。
長年ごちゃごちゃになっていた、引き出しの中などを一日かけて
掃除、整理整頓したら、心の中もとてもすっきり。
ちょっと早い5月病だったのかもしれません。

皆さんも、連休が終わって5月病にかかった、と思ったらぜひ試してください。
家の中を掃除、整理整頓して、「うれしい」「楽しい」「しあわせ」と
つぶやくのです。うれしくなくても、ですよ。
するときっと何かが変わる、心の中から余計なものが失せるでしょう。
だまされたと思ってやってみてね。

4月22日(日)
環境の変化の騒がしさも去り、平穏な日々が続いています。
春ってほんとに素敵ですよねえ。
もちろん、花粉症ではない私も、突発的に目がかゆくなったり、
お肌の状態がいまいち、なんていう、春特有の過ごしにくさも
ありますが、それでも、家々の前に出してあるプランターの花々が
色とりどりに咲いているのを見て、それから、木々の若葉がぐんぐん
成長しているのを見て、とても幸せな気持ちになります。

「うれしい」「楽しい」「しあわせ〜」とだけ、言い続けながら毎日を
過ごせたらどんなにいいでしょう。
実は、今日からそんなふうにやってみようかな、と思っているんです。
もちろん現実には、様々なことが起こりますから、そうとばかりも
言っていられないでしょうけど、仮に望ましくない状態であっても、
何も悪いことが起こってなければ、「幸せ」なんですから。

私は以前、この「何も悪いことがなければ幸せ」という考え方に
なじめませんでした。
でも、この平穏な日に、どこも痛くなくて、差し迫った心配事もなくて、
食べる物があるって、よく考えたらなんて幸せなんでしょう!
そのうえ、家族もとりあえず健康、道端の花がきれいだななんて
思える余裕があるなんて、幸せ以外のなにものでもないですよね!
ほかの、しわがまた増えたとか、子供が言うことを聞かないとか、
そんな小さなことには目をつぶっちゃいましょう。

という気になったのです。
これから、とりあえず1週間はこの気持ちを持続させたいと思います。
「うれしい」「楽しい」「しあわせ」と1週間言い続けたら、どうなるか、
ここに報告させていただきます。

ところで、きのう子供ワークショップが再開しました。
3ヶ月ぶりに会った子供たち、2週間ぶりに会った子も、みんな
元気そうでうれしかったです。
このHPから応募してくださった方もいて、新しいメンバーも
増えました。
子供は「幸せ」をくれますね。
私の生活にまた「うれしい」刺激がありました。ありがとう!

4月14日(土)
一時肌寒かったのも、ひと段落でしょうか。
刻々と暖かくなり、こうなると一気に夏の顔さえ、ちらほらと。

でも春はほんとにいいですねえ。
お正月よりも、ある意味、「始まり、スタート」を意識させてくれます。
特に今年は娘の小学校入学があったので、なおさらでした。
私も心機一転、”始まろう”と思います。

久しぶりに本の話ですが、
ウェイン・W・ダイアー博士著の”「いいことが」次々起こる心の魔法”と
いう本に出会いました。
旅公演で新幹線に乗る前に、さっとつかんで買った本なのですが、
公演中は(特に旅の間では)、夜一人になれても、疲れていたり、
酔っ払って(!)いたりで、てんで頭に入ってこなかったのですが、
今朝は久しぶりに4時に起きて、冴え渡る頭で読んでみると…、
とてもよかったです。
アメリカ的な「願望実現」とキリスト教的な「無限の愛」が、
みごとに宇宙的に融合していて、日本人の私にもとても分かりやすく
なっていました。(という私の解説が分かりにくいですよね(^◇^;) )

つまり、マーフィー的な「イメージすれば欲しいものが叶えられる」jと
いう発想と、私の今傾倒している船井さんや小林正観さんらの
よく言われる「与えれば受け取れる」という発想が、マッチしている
のです。

私ももう一度、一度と言わず何度でも読み返してみようと思って
いるのですが、
この手の本というのは、ぴんと来たら、同じ著者の本を読み漁ると
いうのがいいですね。その著者も同じ思想を、分かってもらうために
手を変え品を変え、いろいろな表現で伝えようとしているからです。
そのうちに、ピンと来ただけのものが、深ーいところで琴線に
あたったり、納得してしまうのでは、と思うのです。

春も読書!
うちの旦那さんは、遅い花粉症に悩まされておりますが、
私はとても元気です。

4月5日(木)
4月1日をもって、「僕たちの好きだった革命」全公演終了しました。
おかげさまで、名古屋・大阪公演も盛況、特に大阪ドラマ・シティーでの
千秋楽は、発売まもなく売り切れただけあって、ものすごい盛り上がりを
見せていました。
チケットをお断りした方々、申し訳ありませんでした。
そして、大阪と言わず、大雪の北海道や山形で、また仙台・名古屋で
駆けつけて下さった方々、本当にありがとうございました。
この場を借りて、お礼申し上げます。

1月15日の稽古開始から、実に2ヶ月半、同じメンバーと過ごし、
同じ台詞を言って、どっぷり浸かって来ましたが、何もかも無事に
終わって、ほんとに私も一息です。
特に今回は、子供の卒園や家庭内のことで次々と心配事や悩みの種が
勃発し、それも何とか事なきを得、やっと春が来た感じです。
(残念ながら気温は春とは言えませんが)

何だか今回は、いろいろ考えさせられました。
何を…って、「人間、どう生きるべきか」ですね、主に。

この2ヶ月半、こんなに楽しく和気あいあいと仕事ができたのは、
ひとえに主役の雅俊さんの、温厚なお人柄によるものだと
私は思っています。
(もちろん、6年ぶりに会った鴻上さんもびっくりするほど丸くなっていて、
今では「役者を伸ばすにはほめるに限る」なんて、言っちゃうんです
から、そりゃあ一昔前の第三舞台とは雰囲気が似ても似つきません)

周囲をほんわかさせるぐらいの温かい人間性。
それだけでも、創造の源のような気がします。

以前は決してそんなふうには思いませんでした。
ただ「いい人」でまわりと仲良くすることに心を砕くより、
「個性」や「集中」や仕事への献身が必要!なんて
生意気に思っておりました。
でも、そんな私はまったく個性的ではないし、
「集中力」や「献身性」を持ちながらも、「いい人」であることも
できるのだ、と身をもって思い知らされたのです。
それに、個性的であるより、「やさしい」ことの方がどんなに
素晴らしいかと。

もちろん、雅俊さん以外の方々にも、ずいぶん刺激を受けました。
若い人にも、ちょい若い人にも。
今回は19人ものキャストがいたので、人間ウォッチングには
最適だったんですね。

さあ、問題は「はっ」と気づいたことを、今度はどのように
実行に移すか、ということです。

私の場合は、とにかく「怒らない」「愚痴を言わない」
「人をほめる」「ポジティヴな言葉ばかり口にする」
「冗談を言う(?)」、そしてもっと勉強して、専門分野を作る。

書いてみると、すっきりします。そうだ、そうしよう!
しばらくこんな調子でがんばります。
皆さんも、思っていることを書いてみると、目標がはっきりするかも
しれませんよ。

3月26日(月)
本格的に春めいてまいりました。
うちの近所の桜は2分咲きといったところでしょうか。
入学式には散ってるかなあ。

さて、「僕たちの好きだった革命」の旅公演もようやく終盤です。
先週、北海道を士別と札幌と幕別と3箇所廻り、2日おいて
山形・仙台を旅し、今中休みです。
今週半ばには名古屋・大阪へ旅立って、4月1日に全部終了の
予定。
おかげさまで、どこでも喜んでいただけている気配です。
そりゃあ中には、手厳しい批評をする方もいるにはいますが、
観る人全員の要望に応えるなんてことは、演劇にはできないのです。
今回は、珍しく、うちの母親が「面白かった」と申しておりました。

殆どストレスがないせいか、私も風邪一つひかずにこの全行程を
乗り切れそうです。
子供が産まれてからこっち、冬の公演というと、必ず子供から
風邪やインフルエンザをもらって、ひーひー言いながら舞台に
立っていたものですが、ようやく子離れできてきたってことでしょうか。

それにしても、今回の舞台は楽しかったなあ。
はじめは19人もの出演者、それも若い人が多くてどんなものだろう、と
思っていましたが、意外にバランスよくやっていけるものですね。
それに私も大人になったのか、旅公演での身の処し方がさっくり、
シンプルになりました。
つまり、開放されすぎたり、逆に寂しかったりで、だらだら飲みをしなく
なったということです。
無駄に夜を費やしていた、若い頃に比べると、時間の使い方が上手に
なったというか、おかげで疲労もためずに翌朝を迎えられるし、
へんな自己嫌悪がなくて助かります。
年を取るっていいことだな、と周りの40代を見ても、そう思います。
(時には、飲んではしゃぎすぎて、前の晩のことを覚えていず、翌朝
かなり焦っていた40代もいましたが…)

さあ、あと少しでこの公演ともさよなら。
最後までしっかり務め上げたいと思います!

3月20日(火)
明日はお彼岸なのですね。というか、実はもう2日前から彼岸入りでは
ありますが。
北海道の地で、「お彼岸に」と書かれたお供え物などが売られているのを
見て、「あれ?そんな季節か」とちぐはぐな感じがしていました。
一言で言って、寒いからです。
お彼岸の頃といえば、もう春一番も吹き終わり、花のにおいもうずうずと
感じられる、あやしい季節ではありませんか。
なのに、彼の地では、まだまだ道の脇に、除雪された雪山が高く積まれて
いるのです。なんたって、摂氏1度とか2度ですからね。

今日、1週間ぶりに東京に降り立ちましたが、うん、確かに思っていたよりは
暖かくない…。でも陽射しがきれいで、嬉しかったです。
実は私は旅の群れから離れて、諸事情のため、一時帰京しているので
あります。あさっては、また新幹線に乗って山形へ。

北海道の皆様、観劇ありがとうございました。
劇場の方々、炊き出しありがとうございました。

札幌、道新ホールで、一部、ミスってしまった私ですが(ある箇所になんと、
出とちりしてしまいました。)
まあ、一瞬だったので、お気づきにならない方もいらっしゃったようで、
周りの方のフォローもあり、ことなきを得た(??!!)のですが、
それも「とちり寿司」ならぬ「とちり餅」(??)で、共演者・スタッフには
お詫びをし、また次の日から何食わぬ顔でやらせていただきました。

ほんとに芝居って、何があるやら分かりません。
でも、今回は雅俊さんはじめ、いい人ばっかり。そして、いいところを
出し合って、とても和気あいあいなムードの中、リラックスして
やらせてもらっているので、疲労もあまりありません。
こんなカンパニー、奇跡のようです。
みなさん、ありがとう!
またよろしくねっ!

3月13日(火)
「僕たちの好きだった革命」、東京公演が無事終了しました。
来てくださったお客様、書き込みしてくださった方、本当にどうも
ありがとうございました。感謝します。

これから、北海道に旅立ちます!
山形、宮城と回って、名古屋、最後は大阪です。
皆さん、どこへ行ってもがんばりますので、待っていてくださいね〜!

帰ってきてから、ゆっくり書かせていただきます。
それもお待ちくださいね〜!

2月12日(月)
2月とは思えない暖かい朝です。ゆうべは風があったせいで
いつもより少し冷え込んだようですが、それにしても窓に結露が
出ないなんて…。普通、この家は10月から4月までばっちり
毎朝窓が濡れているのですが。

このまま地球の温暖化が進むと、50年後には日本でも冬に
海に入れるとか?
でも一方で、温暖化というのは真っ赤な嘘で、地球は氷河期に
入ろうとしているという説もあり。
どっちが本当なんでしょう?
今のところ、目先の問題で日々明け暮れている私には、どれも
現実味がない話です。

お芝居の方は、そろそろ初日まであと2週間というところに来ています。
土曜日に初めて「通し」と呼ばれる、頭から最後まで通してやってみる
稽古がありましたが、とりあえずつなげてみた、という感じで、
まだ手直しの余地はいっぱい。当然ですが。
スタッフワークが大変で、数人のスタッフさんがいつも稽古に立会い、
試行錯誤を繰り返しながら、芝居を作っています。
19人の役者のステージングもなかなか大変。
でもそこは、殺陣師と振付師と、それからもちろん演出家が工夫して、
そういう意味では、舞台って本当に、多くの人の手によるものですね。
たくさんの裏方さんの努力があって、私たち表方は安心して
演技ができる。ありがたいことです。

きのうは出演者の塩谷瞬くんが懇意にしているもつ鍋屋さんが
稽古場出張して下さり、もつ鍋パーティーなるものができました。
久々に人様の作った温かいお食事にありつけて、
しかも大勢の人とおいしさを共有できて、幸せなひととき…。
私も早く、芝居がはねたら飲み屋へ直行!という身分になりたいもの
であります。

2月6日(火)
暖かいですねえ。
もうすっかり春のような気がして、つい薄手のものを選んでしまいますが、
当然寒さは戻ってくるのでしょうね。
ここで油断は禁物なのでしょうね。
うっかり薄着をして、風邪などひかないようにしたいと思います。

さてさて、稽古場のお話ですが。
今日は演出家の鴻上さんがNHKの「スタジオバーク」にご出演なので、
午後遅くからの稽古になりました。
何気なく、テレビをつけるとそこに毎日会っている演出家の顔が…。
思わず見てしまいましたが、それにしても、鴻上さんというのは
6年前から変わらない…。しゃべり方、歩き方、笑い方、どれ一つ
とっても変わりません。もちろん、お腹の横のお肉が少し増えたとか、
顔つきが少し大人になった(?)とか、そんなことはありますが、
本質的なものは何も変わってないんですね。
大高さんも同じでした。「おれ、丸くなったよお」とおっしゃってますが、
基本的な性格は一緒です。
つまり、何が変わらないかというと、
できごとや言葉に対する反応のしかた、ですね。
10年前にその言葉使いで、その言い方、聞いたことある!と
なかばデジャ・ビュのような、遠い過去からやってきた思い出が
ひらめいたとき、「ん?待てよ。」と立ち止まると、その会話そのものが
頭から同じだったりするんです。
怖いですねえ。

十年一日という言葉はこのためにあるのか。
さしづめ、十年同一人物とでも言うような。
もちろん、同一人物ではあるのですが、少しは変わっていたいもの。
 
彼らから見ると、私も同じ穴のムジナなんでしょうね。
言葉使いや反応がまるで同じ?
でも、私は少なくとも以前のように怒りっぽくもなく、不平も愚痴も
驚くほど減りました。
同様に、鴻上さんは演出時に怒鳴らなくなり、大高さんは
ご自分でも言うように「丸くなった」と思います。

よかった。少しは進歩しなきゃ。
「ありがとう」百万回につまづいても、転んでは起き、転んでは起きの
精神で、少しずつ変わっていきましょう!

1月26日(金)
ふぁあああ。今日は、突然稽古がお休みになり、こうしてパソコンに
向かっています。正確に言うと、今日は出番がないから私は
稽古場に行かなくていいのであり、そのシーンに出ている方は
今頃あたふたと稽古場に向かっていることでしょう。

稽古がない日にいろいろなことを片付けておこうと、いつも
思うのですが、何だか時間が過ぎるのが妙に早く、思っていることの
半分も片付けられないのが常。
しかも、今日は何だか眠いやらだるいやら。
まだ稽古も殆ど段取り整理だけで、疲れているはずがないのですが…。
…疲れてますねえ、なぜか、体は。
やっぱり、ぼんやりとそこに居るだけでも気は遣っているのか、
それともゆうべ、心配していた子供の預け先が片がついたからか、
はたまた火曜日に稽古前にバレエのレッスンをやったのが、
今になってきいてるとか??

稽古場でも、ひそかに風邪が流行っていて、座席の座り順に風邪を
ひいているようです。
私は年末年始、苦しんだから、もうひかないぞぉぉぉ。
今日は、いるメンバーだけで、陰山泰さんのお誕生日のお祝いを
やるんだそうです。ああっ、ケーキ食べ損ねたっ。
できる日は、朝のウォーミングアップとして、ブラインドバレーボールなる
ものをやっている私たちですが(幕が間に張ってあって、相手チームが
見えないまま対戦するのです。)、それで大活躍の陰山さん。
前衛後衛、関係なく、どこに飛んできたボールも
取れるときは全部取って、一発で相手に返しているそうです。
しかも黙って、黙々と。
私はまだ陰山さんと一緒のチームになったことはないので、
その雄姿ぶりを拝見できていませんが。残念。
お幾つになったのか、いつまでも、お若くてダンディな男優さんでいてね。

1月18日(木)
今朝、とても悲しい別れの夢を見て、泣いて目が醒めました。
見たこともない人との今生の別れだったのですが…、
なぜか相手の人が黒人の方で…、一体誰なのでしょう???
目が醒めた時、涙が出ているとは、とても久しぶりの経験でした。
今でも、その感覚が体に残っています。

さてさて、「僕たちが好きだった革命」の稽古が始まりました。
6年ぶりの鴻上さんの演出、6年ぶりの大高さんとの共演、
そしてトレランスに2度ほど出演して頂いた陰山さんとの共演を
除けば、あとは初めての方ばかりです。
高校の話なので、現役の方が多いのかと思いきや、意外に
そうでもなく、これだったら私がまた制服を着ても、浮かないかなー
なんて、そんな図々しいことは言いませんよ。
でも、回想シーンから始まるので、制服(セーラー服!?)は
免れないですねえ。
ああ、昨年に続いてまたしても…
1年に1回ずつ、セーラー服を着ることになったらどうしよう。
それこそが「かぶりもの」とか、言われてしまいますねえ。

本を読んだ感想は…、ずばり面白いです。
実際、学生運動に身を投じていた方が見ると、どう受け止めてもらえる
んだろう?と興味深々です。
話に聞くと、やはり今でもその頃を大なり小なり引きずっている方も
世間には多いとか。
そりゃそうですよね。「青春」ですもの。
陰山さんが言ってらしたけど、「僕達は幸い、それがお芝居だったけど」
何かやれずにおれない、血気盛んな頃に、もし学生運動があったら、
私も間違いなく参加していたでしょうね。

今の学生さん、または若い方たちには伝わるでしょうか。
そして、観客の大部分を埋める、その間の世代の人たちには…。
面白いのは、発想した堤幸彦さん、鴻上さん、お二人とも
「遅れてきた世代」で、実際は経験してないこと、今回の
出演者の中でも、中村さんしか経験していないこと(しかも70年代)、
つまり、知らない人たちだけで「憧れ」を持って、創るのです。
その「ファンタジー」が、まったく訳が分からない世代にも浸透して、
感動を生めばいいなあと思っているところです。

どうぞ、観に来てください。

1月12日(金)
それでは、「ありがとう」の話ですが。

皆さんは小林正観さんのお名前をご存知でしょうか。
今、書店に行くと、「トイレ掃除で幸運を呼ぶ」とか何とかいう題名の
A4判の本が並んでますが、ほかにも数々の著書がある方で、
なんとあの、銀座まるかんの社長で、よく成功本を書いてらっしゃる
斉藤一人さんも小林さんの本を一度に700〜800冊買い求めるという
ことらしいんです。
一人さんは「ツイテル」と言い続けて億万長者になり、その教えは
私もつい傾倒してしまうくらい、簡単で効果あるものですが、
その彼が「師匠」とみなしてるのか???と、それを知ってからもっと
興味度が増してしまいました。

彼の本の一番の目玉は、とにかく「ありがとう」と言おう、ということなんです。
「ありがとう」を自分の年の数×1万回言うと、
ぶったまげるようなことが起こると言うんです。
かつて、私は親友に「ありがとう」運動を教えられ、正の字を書いて
「ありがとう」を百万回言おうとしていました。
が、しばらくたってその友人が「ございます」がついてないと
効き目がないらしい、と言うので、「ありがとうございます」とやり直し、
その後、何かの本で何回「ありがとう」を言っても、心が伴わなければ
意味がない、と読んで、「できない〜」と挫折していたのです。

ところが、小林正観さんは、いとも簡単に、
「とにかく、心が入ってなくても、ありがとうと言うこと。」と
おっしゃいます。
でも思ってるだけじゃだめで、自分の声帯を震わせて、
声に出すのがいいのだそう。
言い続けて2万5千回になったとき、人は大抵、
わけもなく号泣してしまうらしいです。
ただ、涙が出ない人もいるそうで、そういう人は、ありがとうと言いながらも、
五戒(愚痴、悪口、不平不満、文句、泣き言)を言ってる場合が多い
らしいですよ。
これらの言葉を口にした瞬間、チーンと音がして、それまで
積み上げてきたものが、ガラガラと崩れ去るのだそうです。

ということで、私は12月から挑んでいるのですが、
いまだに2万5千回をクリアしてません。とほほ。
でも!ここでまた、美輪さんの救いのお言葉が!

『徳を積み上げて積み上げて、あるときカッと来たりして、
また鬼になって何回引き摺り下ろされても、反省してまた修業すれば、
そこは前より紙一枚高いところなのよ。』

ああ、励まされるじゃあないですか。
そのせいか、私もお正月明けてから、また一つ失言をし、
0からやり直してますが、
昨日あたりから、何だかわけもなく嬉しくなってきて、
すべてのことに感謝できるような気がしてきました。
(ただ風邪がぬけて、やっと体調がよくなってきただけなのかも
しれませんが(^◇^;) )

興味ある方は、どうぞ小林正観さんも読んでみてね。

1月10日(水)
早くも鏡開きの季節になってしまいました。
お正月気分、と言っても、私はただただ風邪と闘う毎日で、
いくつかの神社へ初詣と、実家へ帰って親戚に会う程度のことしか
できないお正月でしたが…、
そんなお正月でも、もうおしまい。

先日、あ〜っ、見てよかった!としみじみ思った「オーラの泉」
スペシャルで、美輪さんが「そもそもお正月というのはね、」と
語られていた言葉が印象的です。

『お正月というのは、晴れ着を着て、家族の間でもきちんとし、
にこにこ笑って過ごすもの。
お正月の間中は、決して怒らない、一年間怒らないですむように。
またおせちを食べるのは、一年間ずっと煮炊きしないようにという
意味があるのよ。』

私はこの数行だけでも、ははは〜ん、と我が意を得てしまいました。
そうなんですね。お正月というのは、やはり、新規まき直しで
それまでだめだった人生も、やり直しがきくということなんですよね。
お正月さえ、きちんとして、挨拶も正しく、家族にも親切に、
美しい言葉を使い、決して怒ったりしなければ、とてもいいスタート!
それだけで、一年間が保障されたような気がします。
もちろん、一年の間には、いろいろなことがあるでしょうから、
スタートがよくてもそのままスムーズに行くとも限りませんが、
まずはスタート地点で、自分に誓うことが大切ですよね。
「今年はいい人になる!今年こそは夢をかなえる!」とかね。

そしてまたまた素敵なお言葉。
『鬼になったって、悪魔にひきずられたっていいのよ。
その時、はっと分かって反省すれば。その修業をするために
生まれてきたの。
大体、この人間の形に生まれてくるのだって、奇跡に近いことなのよ。
今度死んだら、いつ生まれることができるかわからないんだから。
だから一生懸命修業するの、生きてるうちに。』

「ありがとう」を何回言っても、途中で挫折してしまう私に、本当に
有り難いお言葉でした。お正月から救われました。
この「ありがとう」のお話はまた次回!

1月3日(水)
新年明けましておめでとうございます。
2007年がやってきました。
皆様いかがお過ごしでしょうか?

私はもう〜、昨年12月後半からばっちり風邪をひいて、
いまだに鼻水ずるずる、咳ごほごほの状態です。
情けない…です。
でも、こんなに長引くのは、風邪の種類にもよるかもしれませんが
いわゆる「自愛」が足りないせいかと、はたと気がつきました。
よく、お手紙の最後に「ご自愛ください」と書きますよね。
ああいう慣用句って、耳慣れ(目慣れ)してしまって
大して考えもせずに使いますが、ちゃんと言われも意味も
あるんですよね。
私は年末の忙しさにかまけて、「治す」という気持ちもないまま
ずるずると日を送っていたことに気がつきました。
さらに、そこには「治らなくてもしょうがない、忙しいんだから」と
いう甘えや、「なんとかなるさ」という根拠のない楽天視、
そして「年末・年始の番組は今しか見れない〜」などという
わがままも…。

そこで、さっそくきのうは「自愛」いたしました。
本に載っていた、「大根鍋」というのを作り、これに、にんにく・
しょうが・ねぎをどさどさと。
本当は、大根を叩きつぶして、これに焼いた甘塩さけと餅、かぶ、
それに小ねぎといくらを乗せて、塩とナンプラーとだしの味だけで
シンプルに戴くものなのですが、
鶏肉や余っていた白菜や春菊なども登場し、野菜もたっぷりな
鍋になり、体も温まって、本当においしかったです。
私は、キムチ鍋くらいでは汗もかかないのですが、
これはどさどさかきました。悪いものが出て行った感じです。

それからお風呂の入り方も気をつけて、
寝る前も首タオル、マスクを欠かさず、それでも夜中に
咳き込むので、夫からトローチの差し入れがあり、
さらにマスクをお湯で濡らして(水で濡らしてチンしましたが)
万全の体勢で寝ました。
もちろん朝になっても、咳こんだり、鼻水は出ますが、
爽快感が違います、「自愛」してるのとしてないのとでは。
「よし、やったろ〜!」という気持ちになったのは、
今年初めてです(^◇^;) 。

何事も気持ちの問題ですね。
でも、体は少々しんどくても、「治そう!」という前向きな気持ち、
自分の体を大切に扱う態度、気配り、そういったものが
大事なのだと今さらながらに気がつきました。
自分を大切にできない人は、他人も思いやれませんものね。
皆さんも、どうぞ「ご自愛ください」ませ。



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